メジロパーマーとは?産駒と成績&伝説のレース動画を紹介!

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いきなりですが、
メジロパーマーという馬を
知っているでしょうか?

メジロ~と言えばマックイーンやライアン、
ラモーヌなどが思いつくと思います。

しかしメジロの逃げ馬と言えば
競馬ファンなら
だれでもメジロパーマー
という馬が最初に来ます。

大波乱、逃げ馬、様々な番狂わせを
起こしたメジロパーマー。

癖のある馬ですが
それゆえ好きな人も多いこの馬。

その馬についてふりかえって
いきたいと思います。

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メジロパーマーの成績/戦績は?

まずメジロパーマーの成績について
みていきたいと思います。

生涯成績:38戦9勝
障害競走:2戦1勝
主な勝ち鞍:宝塚記念、有馬記念、
新潟大賞典、阪神大賞典

2歳8月にデビューを迎えると、
3戦目で初勝利。

そして次走のコスモス賞も連勝

しかしそのあと2戦破れると、
京都3歳ステークスのレース後に、
骨折が判明して長期休養。

翌年6月に復帰するも、
1500万以下からOPまで4連敗。

そして5戦目、
函館記念では再び骨折してしまい、
再びの長期休養

4歳として迎えた1991年の3月の
1500万以下も12着と大惨敗。

この時、陣営はメジロパーマーの
障害転向を検討して、
障害練習が始められました。

その間で天皇賞春にも出走しますが、13着。
そしてそのあと、500万以下に降格して
初戦を2着、2戦目の十勝岳特別を
大差の逃げ切り。

次走は札幌記念に出走。
51キロのハンデもあり、
カミノクレッセなどを抑えて重賞初勝利。

しかし続く、巴賞、函館記念、
巨と大賞典は6,5,7着と上位争いには
食い込むことができませんでした。

そのあと、11月に障害転向を行い、
未勝利戦を圧勝、
400万以下を2着となりました。

しかし飛越自体は上手ではなかったため、
休養に入りました。

そのあと、翌年春に復帰。
コーラルステークス4着を経て、
天皇賞春に出走。7着に敗れました。

しかしそのあとの新潟大賞典1着、
次走の宝塚記念では9番人気という
低評価ながら見事に逃げ切り1着。

秋初戦の京都大賞典は2番人気ながら9着。
続く天皇賞秋もブービーと惨敗。

1992年最後の出走には有馬記念を選択。
15人気ながら、トウカイテイオーや
ライスシャワーを抑えて、逃げ切り。

グランプリ連覇を達成しました。
1993年初戦の阪神大賞典を勝利。

次走の天皇賞春では3着に粘りました。
しかしそれ以後5戦は不調に陥り、
掲示板にも入ることができませんでした。

1994年初戦となった日経新春杯では
2着と久しぶりの好走。

しかし右前脚に脚部不安を
発症して休養に入り、
1994年9月22日に競争を引退しました。

メジロパーマーの獲得賞金は?

そのメジロパーマーの獲得賞金は
いくらなのでしょうか。

獲得賞金:5億3674万2200円

この獲得賞金はメジロ一族と比べてみると、

メジロライアン:4億9204万400円
メジロマックイーン:10億1465万7700円
メジロブライト:8億3258万7000円

なんとメジロライアンよりも稼いでいました。

さすがグランプリ連覇を
達成しただけありますね。

メジロパーマー・伝説のレース動画を紹介!

ではそのメジロパーマーのレース動画を
いくつかピックアップして
紹介していきたいと思います。

1.宝塚記念 阪神芝2200m 宝塚記念

まず1つ目1992年の宝塚記念です。

この宝塚記念は
メジロパーマーの初G1勝利となりました。


出走馬の中には1人気のカミノクレッセや
2人気のダイタクヘリオスなど
メジロマックイーンやトウカイテイオーは
いないものの面白いメンバーとなりました。

その出走馬の中、スタート後から先手を取り、
後続を1馬身くらいリードして逃げます。

4コーナーではさらにリードを広げて
カミノクレッセやミスタースペインなどを
抑えて最後は3馬身差の完勝しました。

メジロマックイーンの代わりにまんまと
メジロパーマーが勝利を飾りました。

2.阪神大賞典 阪神芝3000m 阪神大賞典

2つ目に1993年のメジロパーマーの
初戦として出走した阪神大賞典です。


出走馬の中には1人気ナイスネイチャ、
2人気タケノベルベットなどが出走しており、
その年のG1路線を
うらなう一戦ともなりました。

レースはやはりスタート直後から
メジロパーマーが後続を
5馬身ほど離しての大逃げ。

3コーナーでは後続との差が
1馬身ほどになります。

子尾までと思われましたが、
直線でのメジロパーマー、タケノベルベット、
ナイスネイチャとのたたき合いの
末差し返してレコード決着の優勝となりました。

3.有馬記念 中山芝2500m 有馬記念

最後の3つ目に1992年の
グランプリ連覇を目指して
メジロパーマーが出走した有馬記念です。


出走馬の中にはトウカイテイオー、
ライスシャワー、ヒシマサル、ナイスネイチャ、
レガシーワールドなど豪華メンバーの中、
15人気と人気はありませんでした。

道中から大逃げを図り、
それについていくダイタクヘリオスもいたため
かなり後続を離しての逃げになりました。

後続で人気各馬がけん制しあう中、
4コーナーでも6馬身ほどのリードがあり、
直線でも追いすがる各馬、
最後はレガシーワールドを
鼻差しのぎ切って有馬記念制覇となりました。

メジロパーマーの血統は?

メジロパーマーの血統は
どのようなものなのでしょうか。

みていきたいと思います。

父:メジロイーグル
母:メジロファンタジー

生粋のメジロ血統です。

父メジロイーグルも実は
逃げ馬で息子のメジロパーマーと
似たような馬でした。

しかし種牡馬としての
産駒は決して多くはなく、
その中で出てきた孝行息子が
メジロパーマーなのです。

母のメジロファンタジーのサックも
7頭いますがその中で
活躍したのがメジロパーマーぐらいでした。

メジロパーマーの性格って?


メジロパーマーの性格は荒いのでしょうか、
臆病なのでしょうか?

みていきたいと思います!

メジロパーマーは気性が悪かったです。

それゆえ前に馬を置いてしまうと
すぐに抜いてしまって抑えが
聞かないタイプなので
自然と大逃げという脚質になりました。

しかしそれに見合う強大なスタミナを
持っていたためあの無茶な逃げでも
G1を制することができました。

メジロパーマーの脚質は?

メジロパーマーの脚質を
改めて振り返っていきましょう。

メジロパーマーはデビュー当初は
逃げ馬というわけでもありませんでした。

競馬を教える意味でも選考や差しなど
様々な脚質で競馬をしていました。

本当に逃げ馬になるのは障害競走経験を
経て年が明けた1992年からです。

そのコーラルステークスから先頭を
譲ることはなくなり、
気持ちよく逃げさせることにしました。

メジロパーマーの騎乗騎手は誰?

メジロパーマーの騎乗騎手と言えば
山田泰誠のイメージがあると思います。

そのほかにどれくらいメジロパーマーに
騎乗したのか見ていきたいと思います。

デビュー戦から2戦は柴田正人が騎乗して、
そのあと、2戦は田面木博、
そのあとの萩ステークスは村本義之、

そのあとも田島良保、河内洋、松永幹夫、
角田晃一、押田年郎、安田隆行など

多くの騎手が騎乗しました。

山田泰誠との出会いは1992年の天皇賞春で、
そこから天皇賞秋は
藤田伸二が代打騎乗しますが、
基本的に山田が騎乗して、
宝塚記念や有馬記念など大レースを制しました。

山田にとっても初G1勝利が
メジロパーマーであり、
忘れられない存在でしょう。

メジロパーマーの馬主は?

メジロパーマーの馬主は誰なのでしょうか。

メジロの冠名で有名なメジロ牧場です。

メジロという名前はオーナーの
北野社長の自宅所在地である
東京都豊島区の地名「目白」に由来します。

そのメジロ牧場はほかにも
メジロマックイーンやメジロライアン、
メジロドーベルなど一時代を築きました。

しかし、2011年4月26日、
メジロ牧場は成績不振や有珠山の
噴火による影響から
競馬会の撤退と解散を決定しました。

メジロパーマーの産駒は?

G12勝の偉業を達成したメジロパーマー。

そのあとのメジロ繁栄のための
産駒はいるのでしょうか?

メジロパーマーの代表的産駒としては
重賞を制覇した馬が一頭のみと
活躍を期待されましたが
さほど活躍はしませんでした。

代表産駒
・メジロライデン
主な勝ち鞍:京都ハイジャンプ
2002年に種牡馬を引退しています。

メジロパーマーは障害へ転向?

メジロパーマーといえば
一度障害競走転向をしてそのあと、

G1勝利をした唯一の馬であり
しかもそのG1が宝塚記念と有馬記念という
ビッグレースということが驚きです。

成績不振から障害転向して2戦1勝。

成績は良かったのですが、飛越が上手ではなく、
いつも傷だらけで帰ってきていました。

それゆえ大事に至らせないために
早めに平地に戻ることを
決意してそのあとの快進撃になるのです。

メジロパーマー死因は?

そのメジロパーマーですが、
2012年4月7日に余生を送っていた
レイクヴィラファームにて亡くなりました。

その死因は何なのでしょうか。

見ていきたいと思います。

メジロパーマーの死因は
心臓麻痺であり、25歳でした。

もっと長く生きてほしかったですが、
25歳は馬で平均的な年齢での死亡でもあり、
そこまで生きてくれてよかったと思います。

まとめ

 

 

今回はメジロ一族の1頭メジロパーマーについて
詳しく見てきました。

一時は成績不振から障害競走転向になるも、
平地に復帰してからはG1を2勝。

今後も現れることのないタイプの
馬だと思います。

また、山田泰誠とのコンビは
応援したくなるような気持ちになり、
山田もメジロパーマーの事を
深くわかっていたと思います。

今はそのような騎手と馬とのコンビも
見ないので懐かしく思います。

今はもう見ることのないメジロの冠名。

その1頭メジロパーマーのすごさを
少しでもわかってもらえたと思います。

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