現在の競馬では
スピード能力の高さが
成績に直結すると言われていて
スピードと合わせて
最低限のスタミナも要求される
マイルのタイトルを
重要視する関係者も少なくありません。
現代の競馬シーンで
どんどん価値が高まっているマイルで
90年代後半に圧倒的な強さを見せ
フランスでも評価を受けた
タイキシャトルを紹介します。
尾花栗毛の見栄えのする馬体に
スピードと力強さを併せ持った
希代のマイル王タイキシャトル。
史上最高マイラーとの呼び声も高い
名馬について見て行きましょう。
タイキシャトルの成績/戦績は?
蹄の負傷から入厩が遅れ
ゲート試験に3度も落ちた
というタイキシャトルですが
デビューすると一気に駆け上がります。
4戦目のオープン特別で
不覚を取ったものの
デビューから6戦5勝、
重賞2連勝中という勢いに乗って
マイルチャンピオンシップに挑戦。
4番手追走から2着に
2馬身半差をつける完勝で
主役不在のマイル戦線に
彗星のごとく登場します。
続く、スプリンターズステークス
(当時は12月に実施)でも
危なげない競馬で完勝。
3歳にして短距離路線を制圧しました。
海外遠征を見据えたタイキシャトルは
前哨戦を危なげない競馬で勝利し
春の目標・安田記念に出走。
大雨の影響で、稀に見る
不良馬場での開催となった
このレースでも危なげのない走りで
2馬身半差の完勝。
陣営はフランスのマイル最高峰のレース
ジャック・ル・マロワ賞への
出走を決断します。
少頭数のレースでしたが
圧倒的1番人気に支持された
タイキシャトルは
後続を抑えきって優勝。
陣営の悲願であった
海外G1制覇を成し遂げます。
引き続きの海外遠征も検討されましたが
帰国し、マイルCSに出走すると
2着に5馬身差をつける圧勝。
国内外通じて5つ目のG1タイトルを
いとも簡単に獲得しました。
引退レースとして前年と同じく
スプリンターズSに出走しましたが
太目残りがたたったのか3着に敗戦。
重賞連勝記録が8で止まり、
初めて連対を外したものの
生涯成績13戦11勝 [11-1-1-0]。
マイルでは7戦7勝という
戦績を残してターフを後にしました。
タイキシャトルの獲得賞金はいくら?
国内外通じてG1・5勝
G2・2勝、G3・1勝を挙げた
タイキシャトルは国内で6億1548万円、
フランスで100万フランの賞金を獲得。
賞金の面では、特段目立ちませんが
外国産馬初の年度代表馬、
日本調教馬初のフランスエルメス賞の
最優秀古馬に選出されるなど
国内外で強さが認められた馬でした。
タイキシャトルの動画
日本のみならず
フランスでも強さが認められた
日本競馬きってのマイル王
タイキシャトルのレースを
動画でご覧ください。
1.マイルチャンピオンシップ
最初に紹介するのは
連覇を飾った1998年の
マイルチャンピオンシップです。
フランスでG1を制した
タイキシャトルの国内復帰戦
となったこのレース。
5カ月前の安田記念と比較して
14kgのプラス体重での出走でしたが
その分だけパワーアップした姿を
見せつけます。
好スタートから3番手につけると
持ったまま直線へ。
鞍上が後続の様子を振り返りながら
Goサインを出すと
あっという間に加速。
他の馬はお手上げといった
5馬身差の圧勝劇を
G1の舞台で披露しました。
2.安田記念
続いては1998年の安田記念です。
この年の短距離戦線の
主役として登場した
タイキシャトル。
スピード能力に
疑う余地はなかったものの
大雨によって
ドロドロになってしまった
不良馬場への対応が
心配されました。
いつもより少し後ろの
5~6番手からの競馬になりますが
直線で外に出されると
伸びあぐねる他馬を後目に
あっさりと前を捉えて完勝。
本当に強い馬には、
条件は関係が無いということを
証明する走りを見せました。
3.スプリンターズステークス
最後にピックアップするのは、
1997年のスプリンターズステークスです。
前走で3歳にしてマイル王となった
タイキシャトルでしたが
初めての芝のスプリント戦ということで
対応できるのか不安がありました。
しかし、好スタートから
3~4番手につけると
直線では楽に抜け出して完勝。
圧倒的なスプリント能力を
示した一戦となりました。
タイキシャトルの事件って?
タイキシャトルの名前を検索すると
「事件」という関連ワードが出てきます。
これは、クラブの馬として走っていた
タイキシャトルが、種牡馬として
売却が決まる直前に会員規約が変更され
出資者の配当が少なくなったという情報が
「事件」として捉えられたと思われます。
とは言え、この件については
確実なソースが公開されていないため
真偽のほどはわかりません。
タイキシャトルは種牡馬として活躍できなかった!
引退後、種牡馬となった
タイキシャトル。
種牡馬としての成績は
現役時代から比べると
寂しいものでした。
G1級の勝ち馬を3頭出したものの
自身と並ぶような馬はなく
種牡馬リーディングも
1度だけ8位になっただけで、
あとは20位前後という
成績なので、現役時代の
イメージからすると
活躍したとは言えないかもしれません。
タイキシャトルの血統は?
タイキシャトルの血統を
見てみましょう。
父はアメリカで9戦8勝の成績を残した
デヴィルズバッグ(Devil’s Bag)。
クラシック前に戦線を離脱し
種牡馬入りし、40頭の
重賞ホースの父となりました。
母はイギリスで競走生活を送った
ウェルシュマフィン。
引退後にアメリカのタイキファームに渡り
第2子がタイキシャトルで、
その他、11頭の子供が
日本で競走馬として出走しました。
タイキシャトルの性格は?
出展:Photo/はのい
タイキシャトルは非常に
落ち着いていて、何事にも
動じない性格の馬だったと言います。
海外遠征の際の長時間のフライトも
あまりストレスを
感じていなかったようで
ぐっすり眠り、カイバもしっかり
食べていたようです。
そんなタイキシャトルが唯一
関係者を心配させたのが
ジャック・ル・マロワ賞の当日。
普段は落ち着いているシャトルが
装蹄師を蹴ったり、
これまで見せたことがないほど
イレ込んでいたようで
出走取消も考えたほどだったそうです。
しかし、何とか平静を取り戻し
フランスG1制覇という快挙を
達成しました。
タイキシャトルの脚質は?
マイルを中心とした短距離戦線で
圧倒的な強さと速さを見せた
タイキシャトルの脚質は先行です。
スタートから3~4番手を追走し
直線では差し馬と同じ脚を使うので
前の馬にも後ろの馬にも
チャンスが無いレースぶりでした。
そんなレースが出来たのは
スタートの速さ、スピードの持続力
瞬発力、トップスピードの速さ
どれもが超一流だったからこそ。
完全に「モノが違う」走りを
披露していたのが
タイキシャトルです。
タイキシャトルの騎乗騎手は?
タイキシャトルの主戦を務めたのは
名手・岡部幸雄騎手。
同厩舎の別の馬と被った
2走を除いて岡部騎手が
手綱を取りました。
若い頃から海外志向の
強かった岡部騎手にとって
タイキシャトルで制した
ジャック・ル・マロワ賞は
感慨深かったようで
表彰式で涙を浮かべる
場面もありました。
タイキシャトルを管理したのは
岡部騎手の代表馬である
シンボリルドルフの調教助手だった
藤沢和雄調教師。
ルドルフで果たせなかった
海外G1制覇をタイキシャトルで
成し遂げた2人でした。
タイキシャトルの馬主は?
タイキシャトルを所有したのは
大樹ファーム。
いわゆる一口馬主のクラブの馬として
タイキシャトルは走りました。
シャトルの他には同じ藤沢厩舎で
活躍したタイキブリザードといった
G1馬も所有しています。
また、大樹ファームは一口馬主としての
クラブ運営だけでなく、
日本、アメリカ、アイルランドに
牧場を持つオーナーブリーダーで
タイキフォーチュンや
アドマイヤコジーンといった
G1馬も生産しました。
タイキシャトルの産駒は?
先ほど、タイキシャトルが
種牡馬として活躍できなかった
と書きましたが、
それは現役時代が強すぎたため
そのインパクトに勝るほどの
活躍をした産駒がいない
というだけで、一定レベルの
成功は収めています。
初年度産駒からはウインクリューガーが
NHKマイルカップを制し
2年目の産駒からはメイショウボーラーが
フェブラリーステークスに優勝。
他にもJBCスプリントを勝った
サマーウインドが出るなど
G1ホースの父となっています。
また、種牡馬入りした
メイショウボーラーからは
重賞ホースも出ており
太くはありませんが父系を
維持しています。
母の父としても
ダービー馬ワンアンドオンリーや
桜花賞馬レーヌミノル、
G1・3勝のストレートガールが
出ており、母系にも強い影響力を
与えており、孫世代からの
更なる活躍馬の誕生が期待されます。
まとめ
今回は日本競馬史上
最強のマイラーである1頭
タイキシャトルを紹介しました。
「競馬に絶対は無い」
という格言がありますが、
マイルにおいてのタイキシャトルは
その格言が通用しない
強さを持った馬でした。
圧倒的なスピードと
底知れぬ強さを見せ続けた
名馬タイキシャトル。
ヨーロッパでも強さが
認められた名馬を彷彿とさせる
快速馬が現れて欲しいものです。