ヒシアマゾンという馬を
知っているでしょうか?
アメリカで生まれたこの馬。
不運な女傑といわれましたが、
その活躍ぶりは90年代のエアグルーヴ、
ホクトベガと並んで女傑といわれます。
その強さは牝馬といえないほど強く
牡馬相手でも引けを取らないそのレースぶりは
目を見張るものでした。
今回はそのヒシアマゾンについて
話していこうと思います!
ヒシアマゾンの成績/戦績は?
まずヒシアマゾンの戦績に
ついてみていこうと思います!
生涯成績:20戦10勝
主な勝ち鞍:阪神3歳ステークス
エリザベス女王杯
オールカマー
京都大賞典
1993年の9月にデビューをしました。
その新馬戦は後の芝での活躍ぶりからは
意外でダート戦でした。
その新馬戦で快勝すると、
プラタナス賞で2着。
初の芝となった京成杯3歳ステークスでも
2着に入り、G1阪神3歳ステークスに
挑戦します。
2人気でしたが、2着に5馬身差をつけて圧勝。
しかし明けて、1994年普通なら
桜花賞を目指して牝馬クラシック路線を
走りますが、その当時は外国産馬に
クラシックへの出走が認められていなかったので
裏街道を歩みます。
年明け初戦の京成杯は2着に敗れますが、
そのあとクイーンカップ、クリスタルカップ、
NZT、クイーンステークス、ローズステークス
と連勝。
そして迎えたエリザベス女王杯では
オークス勝ち馬のチョウカイキャロル
との対決に。
1人気通りにチョウカイキャロルを
鼻差抑えて勝利。
続く有馬記念ではナリタブライアンの
2着に敗れ、古馬牡馬相手でも
通用することを証明します。
よく1995年は春にアメリカ遠征に
挑戦しますが、
レース前に脚部不安になり、帰国。
帰ってきて初戦の高松宮杯では
1人気に支持されますが、5着に敗れました。
しかし秋の復帰戦、オールカマー、
京都大賞典を連勝。
ジャパンカップに出走したヒシアマゾンは
ランドに1馬身半及ばず2着。
続く有馬記念では1人気に支持されますが、
5着に敗れます。
6歳時は安田記念10着、
エリザベス女王杯2着入着も社交で7着降着・
有馬記念では5着に敗れ5歳時までの
勢いはありませんでした。
そして1997年京王杯スプリングカップを
目指して調整していましたが
右前脚の浅屈腱炎で引退しました。
ヒシアマゾンの獲得賞金は?
そのヒシアマゾンの獲得賞金を
みていきたいと思います。
獲得賞金:6億9582万9000円
この獲得賞金は牝馬の中だと、
スイープトウショウの7億1970万や
ダイワスカーレットの7億4400万などと
くらべてもすごいことがわかります。
しかも時代的にまだ賞金が今に比べて
少ないころでそれを考えると
女傑の中の女傑ということが言えます。
ヒシアマゾン・伝説のレース動画を紹介!
ヒシアマゾンの伝説のレースは
たくさんありますが、その中でも
選りすぐりのレース動画をいくつか
ピックアップして紹介していきたいと思います!
1.クリスタルカップ
まず一つ目にヒシアマゾンが4歳時に
出走した裏街道でのクリスタルカップです。
人気はヒシアマゾンが2.0倍の1人気、
そのあと、フィールドボンバーや
東証ルーイが続きます。
ヒシアマゾンは終始中団で競馬を進めます。
逃げるタイキウルフは残り100mで
まだ4馬身ほどリードがあり逃げ切ることは
確実視されました。
しかし馬群から1頭猛然と
追い込んできたのがヒシアマゾンです。
たった100mでその差を差し切り。
そのレースは伝説となりました。
2.エリザベス女王杯
2つ目にヒシアマゾンが4歳時に
出走したエリザベス女王杯です。
牝馬の菊花賞の位置になる
このエリザベス女王杯。
しかしヒシアマゾンは外国産馬であったため
桜花賞、オークスに出走は出来ませんでした。
残されたエリザベス女王杯で
悲願のG1勝利を目指します。
そのヒシアマゾンが1.8倍の1人気。
そしてオークス馬のチョウカイキャロルが
2人気となりました。
ヒシアマゾンは後方からレースを進め、
チョウカイキャロルは6番手の位置で
進めました。
3角から追い始め4角では6番手につけます。
そしてチョウカイキャロルとヒシアマゾン、
この2頭の猛烈な直線でのおい比べを
制したのがヒシアマゾンで、4歳牝馬の頂点に
立ちました。
3.有馬記念
最後にヒシアマゾンが4歳時に
出走した有馬記念です。
1人気はその年の3冠馬、ナリタブライアン。
離れた2人気にネーハイシーザー、
3人気にアイルトンシンボリ、
4人気にライスシャワーが続きます。
ヒシアマゾンは6人気でやはり古馬の中
しかも牡馬との厳しいレースなると
上位争いは厳しいのではないかというのが
大方の見方でした。
レースはツインターボが得意の
大逃げで後続を離します。
そしてナリタブライアンは4番手の
先行のポジション。
ヒシアマゾンもいつもよりは
前目の8番手でレースを展開します。
4角ではナリタブライアン、そしてその外から
ヒシアマゾンが並んで追い込んできます。
必死にブライアンに追いすがるヒシアマゾン。
しかし最後はナリタブライアンに
突き放されて3馬身差の2着に敗れました。
ここでヒシアマゾンは古馬に混ざっても、
牡馬に混ざっても上位でしかも
今後の競馬界を担うくらいの強さを
見せつけることができました。
ヒシアマゾンの血統は?
アメリカ生まれのヒシアマゾン、
その血統はどのようなものなのでしょうか、
みていきたいと思います。
父:シアトリカル
母:ケイティーズ
父のシアトリカルはアアイルランド
生まれの名種牡馬です。
その産駒はアイリッシュダービーを
制したザグレブやもちろんヒシアマゾンなど
20頭以上ものG1勝ち馬を輩出しました。
母のケイティーズは
アイルランド1000ギニーの勝ち馬の名馬です。
その産駒はヒシアマゾンの半兄となる
ヒシアリダー、半妹のヒシナイル
全妹のヒシピナクルなど
数多くの有力馬を出しています。
ヒシアマゾンの性格って?
後方からレースを進めるタイプの馬である
ヒシアマゾン、その性格はどのようなもの
なのでしょうかみていきたいと思います。
ヒシアマゾンの気性はかなり荒かったです。
それゆえエリザベス女王杯では
大外発走となったりしました。
しかしその強気な気性が故、
牡馬と混ざっても上位争いができたのでしょう。
ヒシアマゾンの脚質は?
ヒシアマゾンの脚質は常に後方から
レースを進める追い込み馬でした。
しかし、デビューしてから数戦はある程度
前でレースを進めるタイプでしたが、
クイーンステークスから追い込み馬に
なりました。
それ以降はヒシアマゾンのイメージ通り
追い込み脚質となります。
ヒシアマゾンの騎乗騎手は誰?
そのヒシアマゾンと言えば中館英二騎手の
イメージがありますがほかに乗った騎手も
いるのでしょうか。
みていきたいと思います。
ヒシアマゾンに乗った騎手は
たった3人しかいません。
- 中館英二
- 江田照男
- 河内洋
ヒシアマゾンが走った20戦のうち、
18戦は中館英二が騎乗しています。
江田照男は2戦目のプラタナス賞で騎乗。
河内洋はヒシアマゾンの引退レースとなった
有馬記念に騎乗しています。
ヒシアマゾンの馬主は?
ヒシから始まる冠名で有名な
ヒシアマゾンの馬主。
その人はいったい誰なのでしょうか。
ヒシアマゾンの馬主は阿部雅一郎さん
という人で、阿部木材の2代目社長です。
ヒシを言う感銘は屋号の菱雅からとっています。
阿部雅一郎さんは2012年に
75歳で亡くなっています。
主な所有馬
- ヒシアマゾン
- ヒシアケボノ
スプリンターズステークス - ヒシミラクル
菊花賞、天皇賞春、宝塚記念 - ヒシマサル
きさらぎ賞、毎日杯 - ヒシアトラス
平安ステークス、マーチステークス
ヒシアマゾンの産駒は?
これだけ活躍したヒシアマゾン。
その産駒は活躍馬は出ているのでしょうか。
みていきます。
引退後、初年度にヒシマサルと配合すると、
故郷のテイラーメイドファームに戻り、
繁殖生活を送ります。
しかしその産駒で有力馬は出ておらず、
繁殖牝馬としては大成していません。
ヒシアマゾンが美人といわれるのは?
ヒシアマゾンと言えば強いのに美人と
いわれます。
その理由はなぜなのでしょうか。
ヒシアマゾンは日本的な美人というよりも
アメリカ生まれらしくグラマーな美人と
いったところでしょう。
馬体も大きく、また毛色も黒鹿毛で
かっこよく外人的美しさがありました。
まとめ
今回はヒシアマゾンについて見てきました。
90年代の女傑であり、外国産馬として
でれないレースも多い中
数々のG1得レースで好走を続けてきました。
その走りっぷりは牡馬にも引けを取らず
気性も相まって牡馬顔負けの走りでした。
その産駒に活躍馬は出ていませんが、
同系からはスリープレスナイトなども
出ています。
したがってヒシアマゾンが
血統表の端に出てくることもあるでしょう。
またいつかヒシアマゾンの馬名を
目にしたいですね。