「UMAJO」と呼ばれる
女性ファンが増えてきたり、
家族連れで競馬場に行く人たちがいたりと、
今では競馬は、レジャー、エンターテイメントの
1つとして認知されています。
しかし、昔は一般紙やニュース番組で
取り上げられることも滅多になく、
知る人ぞ知る存在でした。
そんな競馬の裾野を広げた
元祖アイドルホースと呼べるのが
1960年の二冠馬コダマです。
後にハイセイコーやオグリキャップの
活躍で4兆円産業にまで発展していく
人気の基礎を築いたコダマについて
今回は紹介していきます。
コダマの成績/戦績は?
出展:https://auctions.yahoo.co.jp/
新馬戦で鞭を使わず快勝した
コダマの姿を見た陣営は
1戦だけで、ダービーを見据えた
ローテーションを決意。
2戦目も5馬身差の圧勝。
関西の3歳王者決定戦
阪神3歳ステークスも
完勝し3戦3勝で
クラシックシーズンを迎えます。
前哨戦を勝ち5戦5勝で臨んだ
皐月賞では、重馬場を克服し
後続に6馬身差をつけ
無敗で1冠を獲得します。
この頃からコダマの名前は
一般の人にまで広がり
無敗のままこの世を去った
悲劇の名馬トキノミノルの再来
と呼ばれるようになります。
途中、調整の狂いがあった
中で迎えた日本ダービー。
当時の最高記録である
7万人が詰めかける中、
レコードタイムで勝利したコダマは、
トキノミノル以来となる
無敗でのダービー制覇を成し遂げます。
しかし、脚部不安の影響で
調整が遅れ、秋初戦で
まさかの2着敗れ
デビュー以来の連勝がストップ。
その後のレースでも3着、
迎えた大一番、戦後初の三冠がかかる
菊花賞も5着に敗れ
コダマ神話が崩壊していきます。
有馬記念も6着に敗れ
4歳秋に4連敗を喫したコダマ。
休養を経て戻ってきた
5歳春に2連勝を飾り、
輝きを取り戻したかに思えましたが、
天皇賞を前に屈腱炎を発症して
長期休養を余儀なくされます。
1年ぶりのレースで2着に入り
その後2連勝で迎えた宝塚記念で
復活を印象付ける勝利を飾り
更なる飛躍が期待されますが、
肩を痛めたことが判明し引退。
通算成績17戦12勝 [12-2-1-2]
無敗での二冠達成という戦績と
競馬ファン以外に競馬を知らしめる
という業績を残してターフを去りました。
コダマの獲得賞金はいくら?
コダマが獲得した賞金は1816万円。
かなり少なく感じますが、
当時のダービーの1着賞金は
600万円ほどで、
現在の30分の1以下という時代。
その頃の馬としては、
トップレベルの賞金を
獲得していたと言えるでしょう。
コダマのレース動画
日本競馬界初の国民的ホース
コダマのレースをご紹介します。
今回は
- 阪神3歳ステークス
- 皐月賞
- 日本ダービー
をピックアップしました。
60年近く前のため
個別のレース動画がないのですが
いくつかのレースをまとめた動画を
最後にご紹介します。
1.阪神3歳ステークス
コダマがデビューした
1959年の締めに出走したのが
阪神3歳ステークス。
当時は牝馬の
3歳チャンピオンを
決めるのではなく
関西のチャンピオンを
決めるレースとして
行われていました。
単勝1.0倍という
圧倒的な人気に押された
コダマは2番手で
レースを進めると
直線で後続を引き離し
2馬身差をつけて
関西の3歳王者に輝きました。
2.皐月賞
続いて紹介するのは
クラシック第一弾
1960年の皐月賞です。
クラシックのライバルと
目されていたマツカゼオーを
トライアルで撃破し
5連勝でこのレースを
迎えたコダマ。
重馬場の中、向こう正面で
先頭に立つとそのまま
最後まで脚色は鈍らず
6馬身差を付けて完勝。
無敗での皐月賞制覇を成し遂げました。
3.日本ダービー
最後にご紹介するのは
1960年の日本ダービーです。
デビューから無敗の
6連勝で皐月賞馬となり
国民的な知名度を
誇るようになったコダマ。
しかし、皐月賞後の
調教中に落鉄を起こし
3日間調教を休むことになります。
さらに、ダービー直前の
調教でも落鉄があり
順調とは言えない中で
臨んだ大一番の日本ダービー。
道中3番手を進むと
直線で粘る馬を楽々と交わし
1着でゴール。
9年ぶり史上2頭目となる
無敗でのクラシック2冠を
達成しました。
コダマの戦績を振り返る
動画はこちら↓↓↓
コダマの血統は?
コダマの血統を見てみましょう。
コダマの父はイギリスで
1戦だけ走り未勝利だった
ブッフラー。
シンザンなどの父として
知られるヒンドスタンの
“おまけ”として輸入された
あまり注目されていない馬でした。
母シラオキはコダマの他、
皐月賞馬シンツバメを生む
繁殖牝馬でした。
シラオキの娘たちも
優秀な繁殖牝馬として
牝系を広げていき
現在にまで繋がっています。
近年では64年ぶりに
牝馬ダービー制覇を果たした
ウオッカの母系もシラオキに
たどり着きます。
コダマの性格は?
小柄な馬体ながら
どっしりとして貫禄があった
というコダマ。
他の馬が暴れると
一緒になって暴れ出す
馬が多い中、コダマは
悠然としていたと言います。
その一方で、レースになると
負けず嫌いの面を出し
根性を見せていたので
オンとオフの切り替えが出来る
性格だったのでしょう。
コダマの脚質は?
コダマの現役時代は
60年近く前のため
詳しい情報は残っていません。
しかし、コダマを管理した
武田文吾調教師が後の三冠馬
シンザンを語った際に
「コダマはカミソリ、
シンザンはナタの切れ味。」
という言葉があります。
ここから想像するには
瞬発力のある馬だったと
考えられます。
持ち前のスピードから
好位につけ、勝負所で
一気に後続を突き放す
先行差しがコダマの
脚質だったと言えるでしょう。
コダマの騎乗騎手は誰?
コダマには3人の騎手が
騎乗しています。
主戦を務めたのは、栗田勝騎手。
コダマと同じく武田文吾厩舎の
所属で、大レースのほとんどに
騎乗しました。
無敗で制した皐月賞など
3戦に騎乗したのが
フリーのさきがけと言われる
渡辺正人騎手。
栗田騎手が負傷の間の
代打を務めました。
そして3人目が鶴留明雄騎手。
武田厩舎に所属した新米の頃に
コダマが出走するオープン特別
4戦で手綱を取りました。
コダマの馬主は?
コダマを所有したのは
伊藤由五郎さん。
鉄道が好きだったという
伊藤さんが国鉄初の
特急電車から取ったのが
コダマの名前の由来です。
1965年の日本ダービーを
制したキーストンの
馬主でもあった伊藤さん。
こちらもアメリカで走っていた
特急列車から取られた名前でした。
コダマの産駒は?
引退後は種牡馬となった
コダマですが、当時は輸入種牡馬が
全盛を極めた時代とあって
二冠馬と言えども繁殖牝馬を
集めるのが困難でした。
それでも馬主だった
伊藤さんが自身の牝馬に
積極的に付けるなど、産駒を確保。
初年度から、重賞ホースを出し
後には、桜花賞を勝つ
ヒデコトブキも生まれ
一定の成功を収めています。
まとめ
今回は1960年のクラシックで
無敗の2冠を達成した
コダマをご紹介しました。
競馬が現在のように
一般紙でも取り上げられる
きっかけを作った1頭の名前を
ぜひ覚えておいてください。