メジロマックイーンとは?気になる血統&産駒・レース動画を紹介!

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2018年の春の天皇賞に
武豊騎手の姿はありませんでしたが、
様々な異名を持つ武騎手の
最も有名なニックネームの1つが
「春の盾男」。

そのイメージを決定づけたのが
メジロマックイーンだったでしょう。

若き日の天才ジョッキーと共に

名門牧場の悲願を背負い
最強馬として古馬中長距離路線で
圧倒的な存在感を示し続けた
史上最強のステイヤー
メジロマックイーン

母の父としても
個性的な名馬を輩出
した
芦毛の名優について
ご紹介していきましょう。

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メジロマックイーンの成績/戦績は?

出展:http://turfdust.cocolog-nifty.com/blog/

体質が弱く調整と出世に
時間がかかったメジロマックイーン
古馬相手の準オープン戦で2着に入り
上がり馬として菊花賞に出走。

ようやく同期のエリートたちと
肩を並べるところまで来ると
勢いに乗って三冠最終戦を勝利。
一躍、競馬界の主役候補に躍り出ます。

古馬となっての目標を
祖父から続く親子三代天皇賞制覇

絞ったマックイーン陣営は
鞍上に当時21歳の天才・武豊を配し
悲願に向かっていきます。

迎えた天皇賞春では、
単勝1.7倍の人気に応え
2
馬身半の差をつけて完勝

現役最強馬の地位に着きます。

続く宝塚記念は2着に敗れたものの
パワーアップして帰ってきた
秋初戦を快勝し挑んだ天皇賞秋。

不良馬場の中、6馬身差をつけ
史上2頭目の天皇賞春秋制覇かと
思われましたが、まさかの18着降着

ジャパンカップでは
海外勢に及ばず4着。

有馬記念では穴馬ダイユウサクの
大駆けに屈し2着と
乗り切れないまま
古馬1年目の秋を終えます

翌年の春の天皇賞では
前年の2冠馬トウカイテイオーとの
一騎打ちに注目が集まります
直線で伸びあぐねるテイオーを後目に
突き抜けたマックイーンが
史上初の天皇賞春連覇を達成
します。

その後に骨折を発症したマックイーンは
翌年、春の天皇賞3連覇を目指し復帰。
大阪杯を完勝して淀の舞台に臨みますが
徹底マークをされたライスシャワーの前に
2着に敗れ、偉業達成はなりませんでした。

しかし、続いて出走した宝塚記念で
4
つめのG1タイトルを獲得

その後の京都大賞典はレコードタイムで
圧勝し、史上初の獲得賞金10億円突破
果たしますが、左前脚に故障を発症し
全能力を発揮しないまま
ターフを去ることになりました。

通算成績21戦12勝 [12-6-1-2]。
掲示板を外したのは、
降着となった天皇賞秋のみという
安定した戦績を残した
名ステイヤーでした。

メジロマックイーンの獲得賞金はいくら?

G1・4勝、G2・5勝を挙げた
メジロマックイーンの獲得賞金は
10億1465万円

これは、当時の世界最高額であり、
史上初めて10億円を突破した
競走馬でした。

メジロマックイーン動画で蘇る

史上最強のステイヤー
メジロマックイーンのレースを
動画でご覧いただきましょう。

1.天皇賞(春)

1つ目にご紹介するのは、
1992年の春の天皇賞です。

前年に親子3代天皇賞制覇を達成した
マックイーンと、親子2代の無敗の
2冠馬トウカイテイオー
現役最強を争うべく戦ったレース。

古馬となってからマックイーンが
唯一1番人気になれなかった
レースでもあります。

2周目の3コーナーで
早くも先頭に立ったマックイーンが
無尽蔵のスタミナを活かした
超ロングスパートで、
後続の脚を鈍らせ史上初の
春の天皇賞連覇を達成したレースです。
前年秋のうっ憤を晴らすべく
武豊騎手の強気な騎乗が印象的です。

2.天皇賞(秋)

続いてご紹介するのは
1991年の天皇賞秋です。

この年の宝塚記念では
2着に敗れていたものの
菊花賞、春の天皇賞に勝利し
本格化していたメジロマックイーンが
天皇賞春秋連覇に挑んだレース

距離不足が心配されていたものの
3番手追走から、直線では
後続を突き放して6馬身差をつけて
1着でゴールしたものの
スタート直後に他の馬を
妨害したとして18着に降着
なってしまった曰く付きの一戦です。

しかし、不良馬場をものともしない
走りは、マックイーンの強さだけが
際立つレース
でした。

メジロマックイーンの降着って?

メジロマックイーンの偉業と共に
語られるのが1991年、
第104回天皇賞での降着騒動です。

18頭立ての7枠13番から
好スタートを切ったマックイーン。

最初のコーナーを内側に
切れ込みながら周った結果
内側にいた5頭の進路が狭くなった
という理由で1着から18着への
降着処分となってしまいました。

G1での1着入線馬が初めて
降着になったことと、

多くの馬が不利を受けたことで
スポーツ紙だけではなく
一般紙でも大きく取り扱われる
出来事となります。

騎乗や降着処分については、
賛否両論が飛び出しましたが、
レース自体は、マックイーンの
独壇場と言えるもので
この騒動は、逆にマックイーンの
強さを際立たせる面もありました

しかし、この一件で
リズムが狂ったのか
メジロマックイーンは、
この後に2走で、勝ち星を挙げる
ことができませんでした。

メジロマックイーンの血統は?

父メジロティターン、母メジロオーロラ
という血統のメジロマックイーン

半兄に菊花賞、有馬記念を制した
メジロデュレンがいたことで、
デビュー当時から期待されていました。

祖父にあたるメジロアサマは
天皇賞を制した名馬であったものの
受胎率が低い種牡馬で、
生涯で19頭しか産駒が誕生しませんでした。

その19頭の中から誕生した1頭が
メジロティターン。

少ないながらも大切に繋がれてきた
血脈からマックイーンという
競馬史に残る名馬が誕生
しました。

メジロマックイーンの性格は?

3000mを超えるレースで
7戦5勝、2着2回と
安定した成績を残した
名ステイヤー、メジロマックイーンは
レースでは堂々とした姿を見せるものの
厩舎では甘えた面を見せる性格だった
言われています。

長距離で安定した成績を残すためには
騎手の指示に素直に従う馬でないと
難しいので、マックイーンも
レースでは素直な馬だったという
見方ができます。

しかし、一般的には気性が
落ち着いてくる晩年になってから
気性が荒くなっていった
という面があり
晩年は3000m級のレースよりも
短い距離の方が力が発揮できると
言われていました。

メジロマックイーンの脚質は?

無尽蔵のスタミナを武器に
ロングスパートを繰り出す
メジロマックイーンは
典型的な先行脚質の馬

瞬発力勝負になると
切れのある馬に屈する場面も
ありましたが、
ロングスパートによって
相手の瞬発力を削ぐ姿は
骨を切らせて肉を断つという
力強いレースっぷり

本格化してからは、
前を行く馬を交わせなかったことは無い
と言っても過言ではないくらい
安定した先行力を発揮していました。

メジロマックイーンの騎手は?

メジロマックイーンには
3人の騎手が騎乗していますが
ベストパートナーは
古馬となってから手綱を取り続けた
武豊騎手でしょう。

祖父メジロアサマから続く
親子3代天皇賞制覇の偉業を託された
武騎手は当時22歳。

すでにリーディーングを
獲得しているだけではなく
多くの名馬に騎乗しG1勝利を重ね
天皇賞春を2年連続で制していた
マックイーンにはうってつけの
存在でした。

武騎手のスタイルとマッチした
マックイーンは、レースを重ねるごとに
凄みを増していき史上最強のステイヤー
呼ばれるほどになっていきました。

ちなみに、マックイーンを管理したのは
池江泰郎調教師。

後に、ディープインパクトや
ステイゴールドといった馬で
タッグを組んでいく武騎手と
池江調教師が最初に手掛けたと
言えるのがメジロマックイーン
でした。

メジロマックイーンの馬主は?

メジロマックイーンを所有したのは
メジロ商事。メジロ牧場を持つ
昭和を代表するオーナーブリーダーです。

初代代表の北野豊吉さんが、
天皇賞制覇に強くこだわっていたため
長距離志向の馬が多く生産
され
その結晶がメジロアサマ、
メジロティターン、メジロマックイーン
による親子三代天皇賞制覇でした。

メジロ牧場名義とメジロ商事名義で
所有された競走馬のピークが
マックイーンと同期の1987と言え
メジロライアン、メジロパーマーという
G1ホースもこの87年組です。

パーマーはメジロイーグルの子供、
ライアンは、メジロドーベル、メジロブライト
という2頭のG1ホースの父となりました。

名実ともにメジロの血脈が結実したのが
マックイーンを筆頭とする87年組でした。

メジロマックイーンの産駒は?

出展:Photo/masaminh

競馬史に残る活躍を見せた
メジロマックイーンは
親子四代天皇賞制覇の偉業に挑むべく
引退後に種牡馬入りしました。

主流血統を持たないことから、
配合の選択肢が多く、重賞ホースなど
質の高い繁殖牝馬を集めたものの
大物産駒に恵まれず親子四代制覇の夢は
叶いませんでした

しかし、マックイーンが遺伝力の
高さを発揮したのは、父ではなく
母の父となってからでした。

ステイゴールドとマックイーンの娘の
組み合わせからドリームジャーニー、
オルフェーヴル兄弟をはじめ
ゴールドシップという活躍馬が相次ぎ
繁殖牝馬を廃業していたマックイーンの子供が
再び繁殖牝馬として買い戻されるという
事態も起こりました。

メジロマックイーンとトウカイテイオーの関係は?

安定した強さゆえに
ライバルらしいライバルが
いなかったメジロマックイーン

お互いが順調であったならば
ライバルとして立ちはだかったであろう
存在が1歳下の2冠馬
トウカイテイオーでしょう。

2頭の対戦が実現したのは
1992年の天皇賞春だけですが、
祖父から繋がる名ステイヤーの
血を持つマックイーンと
父から受け継いだ最強馬の
DNAを持つトウカイテイオー
世紀の決戦として大きな注目を集めました。

長距離に分があったマックイーンが
完勝に終わりましたが、
テイオーが強さを発揮した
ジャパンカップや有馬記念に
マックイーンが出ていたとしたら、、、、

G1を4勝ずつ挙げた名馬同士による
新たな名勝負が生まれていたかもしれません

まとめ

今回は史上最高のステイヤー
との呼び声もある
メジロマックイーンを紹介しました。

年を重ねるごとに強さを増し、
比類なき安定感を発揮した姿は、
平成初期の競馬界の
大横綱
といった感じでした。

中距離やマイルに対応できる
スピードが求められている
現代競馬では、マックイーンのような
ステイヤーは現れないかもしれませんが
この馬がいたからこそ、破天荒な
強さを見せつけたオルフェーヴルや
ゴールドシップという個性派
生まれたのは事実。

現在の競馬シーンに繋がる名優
メジロマックイーンを
ぜひ、覚えておいてください。

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