テイエムオペラオーとは?血統や産駒&ライバルとのレース動画を紹介

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先日、皐月賞が行われ
エポカドーロが一冠目を奪取しましたね。
「速い馬が勝つ」
と言われる皐月賞ですが、
この勝利を皮切りに
競馬界の主役に踊り出た
馬も多くいます。

今回、取り上げるのは
皐月賞でG1初制覇を遂げ
翌年には年間無敗で
古馬中長距離G1を完全制覇
した希代の王者
テイエムオペラオー
です。

数々の記録を更新し
2017年にキタサンブラックに
抜かれるまで17年もの間
最多獲得賞金記録№1の座を
保ち続けた世紀末覇王
テイエムオペラオーの
軌跡をご紹介します。

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テイエムオペラオーの成績/戦績は?


出典:photo:Goki

テイエムオペラオーの現役時代の
戦績を振り返ってみましょう。

現在の表記で2歳の8月に
デビューしたテイエムオペラオーは
軽度の骨折での休養を挟み
クラシックの足音が迫る
3
歳2月に初勝利を挙げます。

続く500万特別、G3毎日杯と
3連勝を飾ったオペラオーは
追加登録料を払い、
クラシック第1弾・皐月賞へ挑戦。

伏兵視され5番人気だった
このレースで、目の覚めるような
末脚を繰り出し優勝。
初勝利から2か月強で
G1
に上り詰めます。

アドマイヤベガ、ナリタトップロードと共に
3強として臨んだダービーでは3着
同じく3強決戦と目された
菊花賞で2着、有馬記念で
当時の最強馬たちを相手に猛追するも
3着と勝ち星に恵まれないまま
3
歳シーズンを終えます

古馬となった2000年。
テイエムオペラオーは
歴史的な1年を迎えます。

始動戦となった京都記念、
阪神大賞典とG2を連勝。
本命として迎えた天皇賞春を
3連勝で飾り2つ目のG1タイトルを獲得

春の締めくくり宝塚記念でも
1
番人気に応え、現役最強馬の
地位を確立
します。

そして、迎えた秋シーズン。
前哨戦で優勝して臨んだ天皇賞秋を勝ち
天皇賞春秋連覇を達成すると、
ジャパンカップでは
海外の強豪を抑え優勝

一年の締めくくりとなる
有馬記念では最後の直線途中まで
馬群に包まれる絶望的な展開の中
一瞬の隙をついて抜け出し勝利

重賞8連勝、古馬中長距離G1完全制覇
という前人未到、完全無欠の
成績を残しました。

5歳シーズンは、誰がオペラオーを
止めるのかという点に注目が集まりますが
初戦となったG2大阪杯で4着に敗れ
あっさりと連勝がストップ

しかし、続く天皇賞春では
復調し史上初の天皇賞3連覇を達成します。

その後、宝塚記念、天皇賞秋、
ジャパンカップで2着と
引退レースとなった有馬記念5着と
G1では勝ちきれませんでしたが、
王者として貫禄のあるレースを
見せ続けました

通算成績26戦14勝 [14-6-3-3]。

掲示板を1度も外すことのない
安定した走り
一時代を築いた名馬でした。

テイエム オペラオーの賞金はいくら?

テイエムオペラオーが稼いだ賞金は
18億3518万円。
これは2017年にキタサンブラックに
抜かれるまで17年間にわたって№1

当時は今よりも賞金額が低かったにも関わらず
長年に渡り塗り替えられなかった
偉大な記録です。

ちなみにオペラオーはセリで
1050万円 で購入されており
自身の取引価格の180倍以上の
賞金を稼ぎだした
ことになります。

テイエムオペラオーのライバルとのレース動画

王朝とも言える一時代を築いた
テイエムオペラオーですが、
そのレースはライバルとの
死闘の連続でもありました。

競馬史に残るオペラオーのレースを
いくつか動画でご覧いただきましょう。

1.皐月賞

まずは初のG1勝利を達成した
1999
年の皐月賞です。

3連勝の勢いに乗って出走したものの
裏路線での活躍だったこともあって
単勝11.1倍の5番人気だったオペラオー。

しかし、直線で大外からライバルたちを
一刀両断する圧巻の末脚で一冠目を奪取

世代トップの能力を見せつけました。

このレースで評価を高めたオペラオーは
三冠を分け合うことになるアドバイヤベガ、
ナリタトップロードと共に3強を形成
クラシックを牽引していきました。

2.ジャパンカップ

続いて紹介するのは、
2000年のジャパンカップ。

古馬最強の地位を築いていた
テイエムオペラオーが
1
世代下のG1ホースや
海外の強豪と相まみえた一戦です。

直線で外に出されると、しぶとく伸び
先に抜け出したメイショウドトウを交わし
ヨーロッパの実力馬
ファンタスティックライトの追撃を
振り切り優勝。

新記録となる重賞7連勝を達成しました。

ちなみに、このレースで
古馬中距離G1・3戦続けて
1着テイエムオペラオー
2着メイショウドトウ
という結果となり、
この組み合わせは翌年の天皇賞春まで
続いていくことになります。

3.有馬記念

最後に取り上げるのは、
年間無敗で古馬中距離G1・5連勝を
飾った2000年の有馬記念

レース前のアクシデントで
片目が塞がっているという状態
大記録がかかったレースに
出走することになります。

小回りで直線の短い中山競馬場で
馬群に包まれた後方3番手という
位置取りになってしまったオペラオー。

最後の直線で馬群を突こうとしますが
オペラオー包囲網のように
各馬が密着
していて、
中々、進路ができません。

急坂に差し掛かかった所で出来た
一瞬の隙間も見逃さなかったオペラオーは
僅かな間から伸び、メイショウドトウを
ハナ差退けて1着でゴール

競馬史上に残るテイエムオペラオー伝説が
完成した瞬間となりました。

テイエムオペラオーが最強と言われる由縁

数々の実績を残してきた
テイエムオペラオーは、
日本競馬史上最強の呼び声も
高い馬です。

史上最多タイのG1・7勝をはじめ、
連続G1・6連勝、通算G1・11連対、
年間G1・5勝、年間重賞8勝、
重賞12
などの
様々な史上最多記録が
その偉大さを示しています。

一方で、G1で2着馬につけたのは
重馬場の時の2馬身半が最高とあって
豪快な勝ち方が少ない点が
ネガティブ要素として挙げられます。

とは言え、それは重箱の隅を
つつくような小さな事に過ぎず、
僅差でも勝利を積み重ね
様々な記録を作った事実
が、
テイエムオペラオーの
偉大さを物語っているでしょう。

テイエムオペラオーの血統は?

テイエムオペラオーの父は
イギリスで活躍したオペラハウス。
オペラオーの他にG1・4勝を挙げた
二冠馬メイショウサムソンも出しています。

オペラハウスの父は、ヨーロッパで
数々の記録を生み出した名種牡馬
サドラーズウェルズですが、
日本ではサドラーズウェルズの血から
なかなか活躍馬が生まれませんでした

オペラハウスによって定説を覆しました。

テイエムオペラオーの母
ワンスウエドはアメリカ産。

オペラオーが生まれるまでの子供は
短距離傾向が強く
距離を補うために配合されたのが
スタミナ豊富なヨーロッパ血統の
オペラハウス
と言われています。

テイエムオペラオーの性格は?

photo:glory20070216

非常に真面目な性格だった
テイエムオペラオー
は、
レースでいつも諦めない
姿勢を見せた馬でした。

最後まで走り切る強さを
持っていたことで
接戦を制し続けたと言えるでしょう。

また精神面の逞しさも
テイエムオペラオーのストロングポイント

馬場の良し悪し、輸送、競馬場の違いなど
関係なく、どんな環境でも力を
発揮できる馬でした。

テイエムオペラオーの脚質は?

皐月賞の豪快な差し脚が
印象的なテイエムオペラオーですが、
その脚質は自在性のあるものでした。

時には好位追走できる柔軟さと、
どこからスパートしてもバテない
スタミナを持っていたからこその
連勝街道だったと言えるでしょう。

スタミナだけなくスピードと
瞬発力を兼ね備え、
最後まで諦めない馬だったため、
後方からの競馬でも結果を残せました。

テイエムオペラオーの騎乗騎手は誰?

デビューから引退まで
テイエムオペラオーに
騎乗し
たのは和田竜二騎手

和田騎手にとって
デビュー3年目で出会ったのが
オペラオーでした。

競馬界を背負って立つ存在になると
目されていたオペラオーとあって、
クラシックの後にはトップ騎手への
乗り替わりが検討された事も
あったようです。

しかし、和田騎手の師匠でもある
岩元市三調教師が間に入り、
和田騎手とがコンビを継続。
歴史的快挙を師弟コンビで成し遂げました

オペラオー以降、JRAでの
G1タイトルがない和田騎手ですが、
2017年には自己最多の勝利数を
挙げるなど40歳にしてまだまだ健在。
オペラオー以来のG1制覇も
近く見られるかもしれません。

テイエムオペラオーの馬主は?

テイエムオペラオーを所有したのは
竹園正繼オーナー。

地元の幼なじみである
岩元市三調教師が騎手時代に制した
ダービーを見て、馬主となって
再会を果たそうと誓った
というエピソードがあります。

自身のイニシャルから「テイエム」の
冠名で所有馬を出走させ、
オペラオーの他にも
二冠牝馬テイエムオーシャンや
テイエムプリキュアといった
G1ホースを所有しました。

テイエムオペラオーの産駒は?

数々の記録作り種牡馬となった
テイエムオペラオーですが、
日本での活躍馬が少ない系統
ということもあり、産駒の成績は
苦戦しています。

子供たちの中には父親譲りの
スタミナを活かして障害で
重賞を勝つ馬は現れましたが、
平地の重賞勝利は叶っていません。

オペラオー自身が高齢なこともあり、
父系としての確率は難しいでしょう。

テイエムオペラオーとメイショウドトウの関係は?

テイエムオペラオーと名勝負を
繰り広げたライバルがメイショウドトウ

出世に時間がかかったドトウは、
2000年の宝塚記念でオペラオーと初対決。
同期のクラシックホース相手に2着と健闘します。

トップホースの1頭となったドトウは
打倒オペラオーを目指しますが、
天皇賞秋、ジャパンカップ、有馬記念、
翌年の天皇賞春と連続して
オペラオーの2着と、あと一歩のところで
及ばないレースが続きます。

そして迎えた6度目のオペラオーとの
対戦となった2001年の宝塚記念で
遂に牙城を破りG1制覇

この時の2着がオペラオーという結果となり、
古馬中長距離G1で6戦連続で
連対馬が同じという珍しい状況を
生み出しました。

このライバル関係を生み出した
理由の一つとして、
天皇賞の出走条件の変更があります。

外国産馬であるメイショウドトウは、
これまでの条件だと天皇賞への出走が
叶いませんでしたが、2000年から
外国産馬の出走が可能になったことで
オペラオーと名勝負を
演じ続けることができたのでした。

まとめ

今回は数多くの最多記録を持つ
世紀末覇王テイエムオペラオー
紹介しました。

あまりの安定感と
同じ相手との優勝争いが続いたことで、
マンネリ化した王者と
呼ばれたこともありましたが、
最強馬の1頭であることに
疑いの余地はありません

記録に残る最強馬として、
テイエムオペラオーの名前を
ぜひ覚えておいてください。

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