ミホノブルボンとは?血統や産駒・レース動画を解説!

スポンサーリンク

ミホノブルボンという
馬を知っているでしょうか?

ディープインパクトや
シンボリルドルフと同様に
皐月賞、ダービーを
無敗で制し
無敗の三冠達成も期待された馬です。

その強さは天性のものではなく、
努力とよく言われました。

「坂路の申し子」「栗毛の超特急」

などの異名で呼ばれ
その強さは
未来の競馬界を背負ってくれるものと
間違いなく確信されていました。

しかし、
そのミホノブルボンの
現役生活の終了は突如のものとなりました。

今回は
そのミホノブルボンについて
詳しく解説していきたいと思います。

スポンサーリンク

ミホノブルボンの成績/戦績は?


出典:http://deepimpact325.blog56.fc2.com/

まずミホノブルボンの
成績から見ていきたいと思います。

生涯成績 主な勝ち鞍
8戦7勝 皐月賞 ダービー

ミホノブルボンは
1991年9月中京競馬場でデビューを迎えて、
坂路調教で古馬にも匹敵するくらいの
タイムを出していたため

1.4倍という圧倒的な人気
結果通りに差し切り、
2歳レコードで完勝しました。

2戦目は東京競馬場の
500万以下に出走して、
2着に6馬身差をつけてまたもや完勝。

同年12月朝日杯2歳ステークスに出走。
早め先頭に立つと、
外から来たヤマニンミラクルを
鼻差抑えて勝利しました。

その年の最優秀2歳牡馬にも選出され、
王者として君臨しました。

あけた、
1992年スプリングステークスから始動。

このレースでは初めて1番人気を譲ります。
しかしその不安もよそに、
2着に7馬身差をつけて圧勝。

そして本番、皐月賞。
このレースでも先頭に立ち、
最後は持ったままで
2着に2馬身半をつけて
クラシック初制覇。

そして2冠達成が期待されたダービー。
距離の不安の声もたくさん上がりましたが、
その不安もよそに
2着のライスシャワーに
4馬身差をつけての完勝。

そして3冠を目指して始動した、
秋初戦、京都新聞杯でも逃げ切り。

いよいよ本番。

菊花賞では
1.5倍の人気に支持されて
無敗の三冠達成が期待されました。

しかし、2番手追走から、
4コーナーでは直線に立ちますが、
ライスシャワーの2着に敗れてしまいました。

そのあとジャパンカップを
目指して調整を進める中、
脚部不安を発症して断念。

翌年も復帰を目指していたが、
1月に右後脚脛骨骨膜炎を発症して長期休養

さらに4月には骨折してしまい、
現役復帰はかなわず、
1994年1月19日に成績に引退しました。

ミホノブルボンの獲得賞金は?


 出典:https://www.nifty.com/

2冠馬ミホノブルボンの
獲得賞金はいくらなのでしょうか。

獲得賞金

5億2596万9800円

たった8戦しかしていないのに
この獲得賞金はすさまじいものがあります。

もっと走っていたら
さらに勝利を積み重ねて
10億円もいっていたに違いありません。

ミホノブルボン・伝説のレース動画を紹介!

ではそのミホノブルボンの走りを
実際にレース動画で見ていきたいと思います。

今回はそのレースの中から
3つだけピックアップして紹介していきます!

1.ダービー 東京芝2400m

まず1つ目は
ミホノブルボンが2冠を目指して出走した
1992年の日本ダービーです。

距離不安が懸念され人気は2.3倍の1番人気。

1倍台にはのりませんでした。

距離の不安と外枠の不安。

様々な不安がある中、
ミホノブルボンはスタート直後から先頭を奪い、
直線でも後続が鞭を入れ懸命に追う中、
鞭を入れおすと、

後続をグングン引き離して
最後は
ライスシャワーを4馬身引き離しての完勝となりました。

2.菊花賞 京都芝3000m

2つ目にはミホノブルボンが
無敗の3冠達成を目指して出走した菊花賞です。

いよいよ三冠達成を見ることができるのか。

ファンが大注目する中、人気ももちろん1人気。

1.5倍という圧倒的なオッズ。

2人気にはライバル、
ライスシャワー3人気には
マチカネタンホイザとなりました。

もちろん距離の不安もありますが
それ以上にファンは3冠達成の姿が見たい。

ただそれだけでした。

スタート後先頭を行く
キョウエイボーガンを見ながら
2番手から競馬を進めるミホノブルボン。

4コーナーではもったまま先頭。

そこから突き抜けると思われたが、
しかしその外からライスシャワーの強襲、
さらには内からマチカネタンホイザ。

先頭はライスシャワーに奪われ、
力尽きそのまま沈むかと思われましたが
そこはミホノブルボン底力。

内から来るマチカネタンホイザを
気合で差し返して2着になり、
3冠達成こそはならなかったものの、
強さは見せることができました。

3.皐月賞 中山芝2000m

3つ目にミホノブルボンの
1冠目をかけたレース皐月賞です。

前走のスプリングステークスで
距離の克服を見せての圧勝。

ここでも2000mまでなら克服するとみられ、
人気は1.4倍の圧倒的人気。

スタート後から定位置の先頭を奪い
後続を1馬身ほどリードして逃げる展開。

3コーナーではややリードを広げて2馬身ほど、
そして直線でもその差は埋まることなく
無敗での皐月賞制覇になりました。

ミホノブルボンの血統は?


出典:https://www.nifty.com/

短距離血統と言われたミホノブルボン。

その血統を詳しく見ていきたいと思います!

マグニテュード カツミエコー

父のマグニテュードは
それまで桜花賞馬エルプスを出しているが、
正直ミルジョージの代わりの
安い種馬馬という馬で
そこまで注目はされていませんでした。

母のカツミエコーは
このミホノブルボンが初めての子で、
南関競馬で1勝を挙げただけの馬でした。

それゆえ、ミホノブルボンも
わずか700万円という
格安の金額で取引されました。

ミホノブルボンの性格って?


逃げ馬と言えば気性、

性格が荒いという馬が多いイメージですが
ミホノブルボンの性格は
どのようなものなのでしょうか?

見ていきたいと思います!

ミホノブルボンの気性は
そこまで激しいものではありませんでした。

意外におっとりしていて、
しかしレースになると負けん気を発揮する、
勝負根性がかなりある馬です。

ミホノブルボンの脚質は?

ミホノブルボンは
前のほうでレースをする馬
というイメージがあると思いますが
いつもそのような脚質だったのでしょうか?

ミホノブルボンは
一度後方からレースをしたことがあります。

それはデビュー戦で、この時出遅れてしまい、
後方からになりますが
直線ではしっかり差し切り
どこからでもレースができることを見せました。

しかしそのあとは基本的に
先頭か2番手でレースを進めるのが主流となり、
後方からレースをすることはなくなりました。

ミホノブルボンの騎乗騎手は誰?

 
出典:https://withnews.jp/

ミホノブルボンに騎乗した騎手は誰で、
何人ほどいるのでしょうか?

ミホノブルボンには
デビューから菊花賞まで
1人の騎手しか乗っていません。
それが小島貞博騎手です。

ミホノブルボンとのコンビで
人生初G1勝利を朝日杯であげました。

小島は
クラシック初制覇となった皐月賞では
「ミホノブルボンが僕を男にしてくれました」
と述べていました。

そのミホノブルボンと
小島貞博のコンビは印象的でしたね。

ミホノブルボンの馬主は?

ミホノという冠名は昔ちらほらいましたよね。

ではそのミホノブルボンなど
ミホノを持っている馬主は
いったい誰なのでしょうか?

ミホノブルボンの馬主は
有限会社ミホノインターナショナル
というところになります。

これまでにミホノの冠名をつけた馬以外にも、
グランドタイテイアテンションリバーなど
G1級ではないですが
そこそこ活躍する馬を所有してきました。

今では馬主はもうやっていないですが、
70頭を合計で所有しておりました。

ミホノブルボンの産駒は?

菊花賞を最後に
引退してしまったミホノブルボン。

その夢の続きを担ってくれる
ミホノブルボンの産駒はいたのでしょうか?

見ていきます。

1994年に日高で種牡馬生活に入りました。

しかし、期待されていたような
活躍馬は中央では出すことができず、
2012年には種牡馬生活を引退しました。

主な産駒

  • ミヤシロブルボン(南部駒賞 東北サラブレッド3歳チャンピオン)
  • ナムラライジン(福島2歳ステークス)

ミホノブルボンとトウカイテイオー

ミホノブルボンとトウカイテイオー
どちらとも2冠馬であり、時代が1年違うだけ。

しかしミホノブルボンが
菊花賞を最後にターフを退いたため
直接対決をすることはありませんでした。

ミホノブルボンを破った
ライスシャワートウカイテイオー
勝負の機会はありますが、
そこから見ても
どっちが強いかは本当に不明です。

やってみないとわかりません。

1年違いの無敗のダービー馬同士の対決。

この有志を見たかった人は本当にたくさんいると思います。

1度でも戦ってほしかったですね。

ミホノブルボンの死亡の理由は?


出典:https://ja.wikipedia.org/

そのミホノブルボンですが、
2017年2月21日朝から
寝たきりの状態となり、22日に死亡しました。

その死因は老衰でした。

28歳と馬にしては
すごく長生きしたと思います。

その産駒をあまり残せなかったのは残念ですが
馬生を謳歌したとは思います。

まとめ


出典:https://wikiwiki.jp/

無敗の2冠馬ミホノブルボン。

菊花賞は負けたものの強さは見せました。

故障して必死に現役復活を試みようとしましたが
最終的にかなわず、
古馬としてのミホノブルボンを
ターフで見ることは出来ませんでした。

しかしその強さ、
坂路調教で鍛えたその馬体は
私たち競馬ファンの間では
決して忘れることのない本当に名馬です。

もしミホノブルボンが
そのあと現役生活を送っていて、
トウカイテイオーメジロマックイーン
などと対決していたら
どうなっていたのでしょうか。

考えるだけでワクワクが止まりません。

ミホノブルボンという名前、
ぜひ覚えておいてください。

スポンサーリンク