先日行われた桜花賞で優勝した
アーモンドアイが鼻の上につけている
白いフワフワした物を何か
ご存知でしょうか?
「シャドーロール」と呼ばれる
馬具なのですが、
それを一般化させた馬がいます。
その名は、ナリタブライアン。
シャドーロールを装着するようになってから
快進撃を始め、史上5頭目の
牡馬3冠を達成したナリタブライアン。
現役時代の後半は、その強さが
影を潜めた部分もありましたが、
全盛期の強さは競馬史上最強の
呼び声も高い「シャドーロールの怪物」を
今回はご紹介します。
※「ナリブー」と略す方もいらっしゃいますが
この記事では略す場合「ブライアン」を
使用させていただきます
ナリタブライアンの成績/戦績は?
21戦12勝 [12-3-1-5]、G1・5勝という
成績を残したナリタブライアン。
素質は評価されていたものの、
軌道に乗るまで少し時間がかかった馬でした。
デビューから5戦は勝ったり負けたりの繰り返し。
一計を案じた陣営が、レースで
シャドーロールの装着を決断すると、
そこから才能が開花。
6戦目からシャドーロールを
付けた姿で出走すると、
7戦目の朝日杯3歳ステークス
(現:朝日杯FS)でG1初制覇を果たし、
世代の雄としてクラシック戦線へ臨みます。
前哨戦を快勝して挑んだ皐月賞では、
ハイペースを好位から追走し、
皐月賞で初めて2分の壁を切る
レコードタイムで一冠目を獲得。
続くダービーでは、他馬に
邪魔されないように
終始大外を回りながらも
5馬身差をつけて二冠達成。
菊花賞では稍重の馬場にも関わらず
レコードを更新する圧倒的な走りで、
シンボリルドルフ以来となる
10年ぶりの三冠馬となりました。
史上5頭目の三冠馬となった
ナリタブライアンは、現役№1決定戦となる
年末の有馬記念に出走。
並みいる強豪が揃う中、いとも簡単に
直線で抜け出し、G1・5勝目を挙げ、
名実ともに現役最強馬の座に着きます。
古馬となり、現役最強から
史上最強への階段を上るはずだった
ナリタブライアンでしたが、
股関節の故障から、残念ながら
その後は本来の姿を取り戻すには
至りませんでした。
戦績は、シャドーロール装着前と後、
故障の後と3つの時代に別れますが、
全盛期には日本競馬史に残る
圧倒的なパフォーマンスを披露した
歴史的な名馬です。
ナリタブライアンの獲得賞金は?
G1・5勝、G2・2勝、G3・1勝を挙げた
ナリタブライアンの獲得賞金は
10億2691万6000円で、当時の最高額。
また、4歳(現在の表記では3歳)の
1年間で7億1280万2000円の
賞金を獲得していますが、
こちらも当時の最高金額でした。
ナリタブライアン・伝説のレース動画を紹介!
シャドーロールの怪物・ナリタブライアンの
現役を簡単に振り返りましたが、
その圧倒的な強さを動画でご紹介します。
伝説、名勝負と語り継がれる
レースもありますので、
じっくりとご覧ください。
鼻の上に白いフワフワを付けた馬なので、
競馬を見慣れていない方でも、
すぐに見つけられると思います。
1.ダービー
2着に3馬身半の差をつけレコード勝ちした
皐月賞を受け、断然の本命として出走した
1994年の日本ダービー。
ナリタブライアンを負かすべく、
他の馬たちが策を練って
挑んできましたが能力が違いすぎました。
馬群に包まれたり、他の馬の影響を
受けたくないと考えた南井騎手。
無理に内に入れず、道中は終始、
馬群の外を周り、直線も一頭だけ
外ラチに向かうように大外に導きます。
大幅に距離のロスがある
進路どりをしたブライアンでしたが、
終わってみると5馬身差をつけ圧勝。
誰もが三冠を確信するレースを
見せつけたのでした。
2.阪神大賞典
数々の圧勝劇を見せてきた
ナリタブライアンですが、
印象深いレースとして挙げられるのが
1996年の阪神大賞典。
圧倒的な強さを見せ年度代表馬に
輝いた4歳(現在の表記で3歳)でしたが、
古馬となり故障を発生し
秋のG1戦線で復帰するも
12着、6着、4着と本来の姿を
見せることができていませんでした。
ブライアンが本調子に戻らない中、
菊花賞と有馬記念を制し95年の
年度代表馬となったのが
同じ父を持つマヤノトップガン。
2頭は春の天皇賞の前哨戦、
阪神大賞典で相まみえることになります。
新旧年度代表馬の対決となった
このレースは、2週目の3コーナーで
先頭に立ったマヤノトップガンを
ナリタブライアンが追いかけ
400mに渡っての一騎打ちに。
わずかアタマ差だけ後輩を退けた
ブライアンが1年ぶりの勝利を飾りました。
3着を9馬身も離した、年度代表馬同士の
叩き合いは競馬史に残る名勝負と
語り継がれています。
3.有馬記念
もう1レース取り上げたいのが
1994年の有馬記念です。
これは三冠を達成し、世代に敵なしだった
ナリタブライアンが、現役最強を
証明するべく出走したレース。
自身を含め、G1馬が5頭出走していましたが、
1.2倍の圧倒的な一番人気に
押されたブライアン。
いつものように3コーナー辺りから
進出し、最終コーナーを周る頃には
先頭に躍り出て、
後続に3馬身をつける完勝。
日本に敵なしどころではなく、
競馬史上最強との呼び声が出てくる
圧倒的な強さを見せつけました。
ナリタブライアンの血統は?
ナリタブライアンは
父ブライアンズタイムが
日本に輸入されてから
誕生した初年度産駒。
ブライアンズタイムは他にも
G1・4勝を挙げたマヤノトップガンや
二冠馬サニーブライアン、
ウオッカの父としても有名な
ダービー馬タニノギムレットを
輩出するなど、一大勢力を築いた名種牡馬。
そんな父の誰もが認める
最高傑作がナリタブライアンでした。
母のパシフィカスは、
「その血はダイヤモンドよりも価値がある」
とも言われた世界的な種牡馬
ノーザンダンサーの血を持つ良血馬。
ナリタブライアンの1つ上の兄
ビワハヤヒデはG1・3勝を挙げ、
ブライアンの全弟ビワタケヒデも
重賞を勝つなど優秀な繁殖成績を残しています。
ちなみにパシフィカスの妹に
キャットクイルという馬がいますが、
彼女はG1・3勝の名牝ファレノプシスや
第80代日本ダービー馬キズナを産んでいます。
つまり、ナリタブライアンは
キズナと従兄弟同士という血統なんです。
ナリタブライアンの性格って?
ナリタブライアンは非常に憶病な面と
テンションが高い面を併せ持った
性格だったと言われています。
臆病な面を改善させ、
集中力をアップさせるために
装着されたのが、代名詞となる
シャドーロールだったのです。
また、テンションの高さをクリアするために
調教師はレース間隔を詰めて、
エネルギーを発散させる戦術をとりました。
この事で、ほどよいテンションで
レースに臨むことが出来るようになり、
4歳時の年間獲得賞金記録に
繋がっていきました。
レースに向けてのナリタブライアンは
テンションの高い面があったようですが、
牧場にいる時は穏やかだったそうです。
一流馬ならではの頭の良さで、
レースに近づく雰囲気を馬が理解していたため、
厩舎ではテンションが
高かったのかもしれません。
ナリタブライアンの脚質は?
臆病でテンションが高かったという
ナリタブライアンですが、
レースっぷりは非常に優等生。
ぺースの速い遅いに関係なく、
騎手の指示にしっかり従う馬でした。
無理なく好位につけ、3コーナー過ぎで
逃げ馬を射程圏に捉えると、
4コーナーを周り切ったあたりで
先頭に立ち、あとは後続を引き離す
というのが全盛期のスタイル。
脚質で言えば“先行差し”とでも
呼ぶような形でしょうか。
包まれるリスクを無くしながら、
前も後ろも視野に入れることができる
3番手~10番手の外側をキープする走り方は、
まさに横綱相撲。
「テン良し、中良し、終い良し」
と、競馬界で言われている、
スタート・追走・末脚の3つを
併せ持つ馬だからこそ出来た競馬でした。
ナリタブライアンの騎乗騎手は誰?
ナリタブライアンの主戦を務めたのは
南井克巳騎手。剛腕と呼ばれ
大レースを何度も制している名騎手は、
初めてブライアンに跨った時から
素質を感じ取っていたようです。
才能を発揮するまでに
時間がかかったナリタブライアンでしたが、
負けたレースでも南井騎手の印象は変わらず、
「今まで乗ってきた中で、
一番強いかもしれない」とコメントするまで
ブライアンの成長に寄り添いました。
また、南井騎手が故障している間、
3戦だけブライアンに騎乗したのが
天才・武豊騎手。
名勝負と語られている96年の
阪神大賞典は武騎手が騎乗したものでした。
全盛期のブライアンとは、
敵として接していた武騎手は
「全然、勝てる気がしない」と感じていたそうです。
ナリタブライアンの馬主は?
ナリタブライアンを所有していたのは
山路秀則さん。
大阪の成田不動尊から取った「ナリタ」と、
出身地の大隅半島から取った「オースミ」の
冠名でお馴染みだった馬主さんです。
ブライアンの他、皐月賞馬ナリタタイシン、
菊花賞馬ナリタトップロードといった
G1や数多くの重賞ホースを所有していた
名物オーナー。
馬主になって7年目に初の
日本ダービーのタイトルを
もたらしてくれたのが、
ナリタブライアンでした。
ナリタブライアンの産駒は?
現役時代の圧倒的なパフォーマンスから、
当時の内国産としては最高の
20億7000万円のシンジケートが組まれ
種牡馬入りした
ナリタブライアンでしたが、
わずか2世代だけを残して
早世してしまいます。
遺された産駒からは、
重賞2着に入る馬が出た程度で、
父系としてのナリタブライアンの血は
途絶えてしまいます。
しかし、牝馬の多くは
繁殖入りしており、
母の父としてオールアズワン、
マイネルハニーといった
重賞勝ち馬が生まれ、
ファンを喜ばせました。
ナリタブライアンの血を引く馬は
数少なくなっていますが、
子孫の中からブライアンを
彷彿とさせる馬が誕生することを
願いたいものです。
ナリタブライアンが最強と言われるのはなぜ?
「日本競馬史上最強馬は?」という
テーマの時に、必ず名前が挙がる
ナリタブライアン。
最強と言われる所以は、
どこにあるのでしょうか?
1つは圧倒的な着差。
皐月賞3馬身半、ダービー5馬身、
菊花賞7馬身という着差は、
過去の三冠馬の中でもトップ。
それ以外でも、優勝したレースの
ほとんどで3馬身以上の
着差をつけており、
見る者に強烈な強さを
印象づけています。
着差を付けて勝つと
相手が弱いと思われがちですが、
同世代には古馬になってから
重賞を勝つ馬も多く、
決して弱い世代ではありませんでした。
また、競走馬にとって
重要とされるのがスピードですが、
ナリタブライアンは3回の
レコード勝ちが示すように
速さも持ち合わせていたことから、
絶対的な能力が高かったことを物語っています。
印象的な強さと、
強さを裏付ける時計があることから、
ナリタブライアンは最強馬という
問いかけに必ず名前が挙がる1頭なのです。
ナリタブライアンの死因は何?
引退後、わずか2世代しか
残せなかったナリタブライアン。
その死因は胃破裂でした。
疝痛と言われる腹痛を起こしていた
ナリタブライアンは腸閉塞との
診断を受けます。
草食動物である馬は腸が非常に長く、
腸閉塞は悪化させると
死にも繋がることから
開腹手術が施されました。
一時は回復に向かっていた
ブライアンでしたが、手術から
約3か月後に再び疝痛を起こします。
再び開腹したところ、胃破裂を
発症しており、手の施しようがない
状態だったようで、
安楽死という決断がとられ
早世してしまいました。
ナリタブライアンの兄
ナリタブライアンの兄ビワハヤヒデも
非常に優秀な競走馬でした。
春のクラシックまでは、
G1に一歩届かない馬という
イメージでしたが、
ハードなトレーニングを積んだ
夏を越えて一変。
菊花賞をレコードタイムで
圧勝すると古馬になってからも
連勝で、春の天皇賞、宝塚記念と
続けてG1に優勝します。
弟との最強決定戦が期待されていましたが、
ブライアンが三冠を達成する
前の週に行われた天皇賞秋で、
生涯で始めて連対を外す5着に敗れると、
レース中に故障をしていた事が
判明して引退。
兄弟対決は幻に終わりました。
ナリタブライアンVSビワハヤヒデ
幻に終わった
ナリタブライアンvsビワハヤヒデの
兄弟対決ですが、
もし、1994年の有馬記念で
実現していたらどうなったのでしょうか?
2〜3番手を追走するビワハヤヒデを
5〜6番手につけたナリタブライアンがマーク。
最後の直線で先頭に立った兄を
外から弟が猛追する、、、
といった展開だったのかなと
想像できます。
多くの評論家が、
ブライアンが勝っただろうと
予想していますが、
コーナーの多い中山競馬場なら
ハヤヒデに分があった
と言う関係者もいます。
2頭のレースぶりを振り返った上で、
頭の中で対戦をイメージしてみると
面白いかもしれませんね。
まとめ
今回は、圧倒的なパフォーマンスで
三冠を達成したシャドーロールの怪物
ナリタブライアンをご紹介しました。
20年以上の馬ですが、
その圧勝劇は今見ても
爽快なものばかりです。
YouTubeなどに映像も
たくさんアップされていますので
これを機に競馬史上最強とも
呼ばれた名馬のレースを
じっくりご覧になってください。