日本の競馬界の勢力図を塗り替えたと言っても
全く過言ではない歴史的代種牡馬である
サンデーサイレンスですが、
初年度から産駒がクラシックも含めて
大活躍を見せたにもかかわらず
種牡馬としての当初の評価は
決して高いものではありませんでした。
産駒の活躍と共にその種付け料も
見る見るうちに高騰し、
次々と新しい記録を打ち立てていった
サンデーサイレンスの存在がなければ、
今の日本競馬は世界から見ても
まだまだ後進国のままだったでしょう。
今回はそのサンデーサイレンスが輩出した、
多くの記録にも記憶にも残る産駒を
解説していくことで
サンデーサイレンスの偉大さを
皆さんに伝えていきたいと思います。
サンデーサイレンスの産駒!子供を5頭紹介
これまでサンデーサイレンスが残してきた
数多くの産駒の中で、
GⅠ勝ち馬の数は実に43頭にもなり、
それらが制したGⅠ総数は70個と
とてつもない数字を残しており、
この記録を破る可能性があるのは
ディープインパクトのみだと言われています。
ここではその数多くいる産駒の中でも
特に我々に強烈なインパクトを残した産駒を
5頭ピックアップして、
その活躍を振り返っていきたいと思います。
1.ディープインパクト
母:ウインドインハーヘア
母父:Alzao
主なGⅠ勝ち鞍
- 牡馬三冠(皐月賞・東京優駿・菊花賞)
- 有馬記念
- ジャパンカップ
- 天皇賞・春
- 宝塚記念
父サンデーサイレンスが晩年に送り出した
『最高傑作』
との呼び声も高いのがディープインパクトで、
これまで多くのGⅠ馬を輩出しながらも
なかなか達成することができなかった
『牡馬クラシック三冠』を史上2頭目の
無敗で達成した歴史的名馬です。
他にも数々のGⅠを圧倒的能力で勝利し、
日本の競馬ファンに限りなく『世界一』
といったものを意識させてくれたのは
同馬を置いて他にいないと言っても
問題ないと思います。
現在は種牡馬として父サンデーサイレンスの跡
を継ぐように次々と名馬を輩出して
毎年のリーディングサイアーの座を
不動のものとしており、
今後は世界にもその血を広めていく
といった役目を果たすことになりそうですね。
2.スペシャルウィーク
母:キャンペンガール
母父:マルゼンスキー
主なGⅠ勝ち鞍
- 東京優駿
- ジャパンカップ
- 天皇賞・春
- 天皇賞・秋
日本競馬界の騎手として間違いなく
第一人者である武豊騎手に初めて
『ダービージョッキー』の称号
をプレゼントしたと共に、初めての
『ジャパンカップ制覇』の偉業
をも達成させることになったのが
このスペシャルウィークの存在です。
3歳時は肉体面や精神面の幼さもあって
GⅠ勝ちは日本ダービーのみでしたが、
4歳時はまさに『王者』として古馬王道路線を
最後まで主役の立場で戦い抜き
年間GⅠ4勝の活躍を見せると同時に、
最大のライバルであったグラスワンダーとの
今でも語り継がれる有馬記念では
『記憶』に残る名勝負を見せてくれました。
残念ながら2018年4月27日に23歳で亡くなり
目立った後継種牡馬は残せませんでしたが、
ブエナビスタやシーザリオといった
名繁殖牝馬を通じての『母の父』として
これからも長く日本競馬にその名を
残していくのは間違いないでしょう。
3.アグネスタキオン
母:アグネスフローラ
母父:ヤマニンスキー
主なGⅠ・重賞勝ち鞍
- 皐月賞
- 弥生賞
- ラジオたんぱ杯3歳S
デビューから引退までが僅か4戦と
サンデーサイレンス産駒としては
フジキセキと並んで最小キャリア数である
アグネスタキオンですが、
その4戦で見せた圧倒的能力とレース内容は
我々競馬ファンに『三冠』の可能性を
非常に強くを感じさせてくれました。
デビュー勝ち直後に臨んだ当時の
ラジオたんぱ杯3歳Sでは、
後に芝・ダート路線でチャンピオンとなった
ジャングルポケットとクロフネを
全くの子ども扱いして圧勝し、
3歳時の弥生賞→皐月賞を連勝した時は
多くの競馬ファンが『無敗の三冠馬』の誕生を
信じて疑わないくらいの素晴らしい能力を
秘めた馬でしたが、
一族代々受け継がれた体質の弱さには勝てず
志半ばで引退することになりました。
種牡馬としても歴史的名牝ダイワスカーレットや
日本ダービー馬ディープスカイなどを輩出し、
当時はサンデーサイレンスの後継候補№1
と言われていただけに
2009年に11歳の若さで亡くなってしまったのは
日本競馬界にとっても大きな損失で、
もし存命であればまだまだ活躍馬を
輩出できたのは間違いないと思います。
4.ステイゴールド
母:ゴールデンサッシュ
母父:ディクタス
- 主なGⅠ・重賞勝ち鞍
- 香港ヴァーズ
- ドバイシーマクラシック
- 目黒記念
- 日経新春杯
現役生活を通じて非常に高い能力を持ちながら
激しすぎる気性面が原因で
勝ちきれないレースが続き
『シルバーコレクター』
とも言われたステイゴールドでしたが、
その小柄な体で負けてもひたむきに
ゴールを目指す姿と
勝ちきれないキャラクターが相まって、
サンデーサイレンス産駒の中でも
抜群の人気を誇っていた馬でした。
念願の初重賞制覇となった目黒記念では
翌日に行われた日本ダービーにも匹敵する
万雷の拍手で迎えられ、
2002年の香港ヴァーズでは
直線でとても届かないような位置から
まさに飛ぶような末脚でゴール前差し切り、
引退レースを海外GⅠ制覇で飾るという
これ以上ない大団円を達成して、
その人気を不動のものとしました。
引退当初の種牡馬としての評価は
決して高くはありませんでしたが、
オルフェーヴル、ゴールドシップ、
ドリームジャーニーといった
歴史に残る名馬を次々に輩出し、
種牡馬としても一流であることを証明ました。
2015年に21歳で死亡したのは残念ですが、
その血は自らが残した産駒が
受け継いでいくのではないでしょうか。
5.マンハッタンカフェ
母:サトルチェンジ
母父:Law Society
主なGⅠ勝ち鞍
- 有馬記念
- 菊花賞
- 天皇賞・春
デビュー当初はアグネスタキオンや
ジャングルポケット、クロフネといった
スターホースに隠れて地味な存在では
ありましたが、
遠回りをしながらも確実に地力を強化して
最終的には国内№1の座に就いた
マンハッタンカフェは、まさに
『忍耐の名馬』
とも言うべき存在ではないでしょうか。
また同馬の特徴として
『本番に強い』
といった面があり、
トライアルレースや前哨戦では
人気でアッサリ負けるような面を見せながら、
菊花賞では春の既存勢力や上がり馬を
まとめて差し切ってGⅠ初制覇を飾り、
続く有馬記念では当時の現役最強馬
テイエムオペラオー&メイショウドトウを
まとめて撃破、
そして翌年の国内最強馬決定戦の天皇賞・春も
3強対決を制してキッチリ勝利したように、
重賞勝ち3戦が全てGⅠである事実からも
同馬の勝負強さが理解できると思います。
種牡馬としてもレッドディザイアを始めとして
GⅠ馬を多数輩出した上で、
2009年にはリーディングサイアーも獲得し、
自らの能力をこれ以上ない形で証明した
素晴らしいサンデーサイレンス産駒の
1頭だと思います。
サンデーサイレンス種牡馬としての成績/戦績は?
出典:http://sakisaki0920.jugem.jp/
サンデーサイレンス産駒の活躍は
上記に挙げた5頭の活躍だけでも
十分伝わったと思いますが、
それ以外の面の数字や成績からも
サンデーサイレンスの高い能力といったものが
証明できます。
ここではそれぞれの項目に分けて、
サンデーサイレンスの種牡馬としての素晴らしさ
といったものを説明していきたいと思います。
サンデーサイレンスの種付け料は?
アメリカから輸入された当時は
まだ種牡馬としての評価がそれほど
高くなかったこともあり、
総額25億円のシンジゲートは満口でしたが
その種付けのほとんどは
社台ファームの繁殖牝馬で行われたものでした。
当初1100万円でスタートした種付け料は
3年目で一旦800万円まで下がったものの、
その後の産駒の活躍によって
毎年のように値上がりし、
最終的には2500万円という当時の
国内最高額まで上がることとなりました。
この金額でも毎年のように繁殖牝馬が
その血を欲して殺到していたことからも、
同馬の種牡馬としての評価の高さが
理解できるのではないでしょうか。
サンデーサイレンスの馬主は?
サンデーサイレンスの現役時代の馬主は
ガリアード&ハンコック3世
という人が実質的所有者となっていましたが、
セレクトセールなどで売却を考えていた
ハンコックの考えに反して、
馬体の見栄えの悪さや気性面の激しさから
次々と打診した関係者に断られ、
最終的には友人との共有という形に
落ち着きました。
そこからその友人が自らの知人で
調教師のチャーリー・ウィッテンガムに
自らの持ち分を売却し、
ウィッテンガムがその持ち分の半分を
友人である医師のアーネスト・ゲイラードに
売却したこともあって、
最終的なサンデーサイレンスの馬主は
- ガリアード&ハンコック3世
- チャーリー・ウィッテンガム
- アーネスト・ゲイラード
の3人による共同馬主、ということになります。
手放したアメリカは後悔しているって本当?
日本で飛ぶ鳥を落とす勢いで次々と活躍馬を
輩出しているサンデーサイレンスに対して、
同馬を生産したアメリカの競馬界は
どう思っていたのでしょうか?
実際にサンデーサイレンスはアメリカでも
総額1000万ドルのシンジゲートが組まれており、
馬主のハンコックも当初はアメリカで
種牡馬生活を送らせる予定でした。
しかし、当時はサンデーサイレンスと同じ
ヘイロー産駒の種牡馬成績が
振るわなかったことに加えて、
デビュー前から見栄えの悪かった馬体や
手が付けられないほどの激しい気性面、
さらにはその活躍の乏しい血統面からも
関係者からの評価が極端に低く、
シンジゲート株の購入者は3名しかおらず、
種付けの申し込みも2頭しかいない有様でした。
そんな中で社台グループの創設者である
吉田善哉氏がハンコックに
サンデーサイレンスの購入を打診し、
ハンコックが多額の負債を抱えていたのに加え
アメリカでのサンデーサイレンスの
種牡馬としての評価の低さから、
日本への売却が実現することとなりました。
その後日本で数々の芝GⅠレースを勝利する
産駒を輩出したサンデーサイレンスでしたが、
ダート競馬が主流のアメリカにそのまま
残っていた場合、
これほどまでの成績を残していたかは
正直考えにくい面があるのも事実です。
しかし、実際にこれだけ世界レベルでの
大活躍を残したサンデーサイレンスに対して、
アメリカの競馬界が後悔してないかと言えば
決してそんなことがないのも事実でしょう。
様々な要因と吉田善哉氏の強い信念のもと
日本に輸入されたサンデーサイレンスにとっては
最も幸せな結果になったのは
間違いないと思います。
サンデーサイレンスの死因は?
それまで順調に種牡馬生活を過ごしていた
サンデーサイレンスでしたが、
2002年5月に右前脚にフレグモーネを
発症していることが発覚しました。
そのフレグモーネが引き起こした細菌が
抗生物質の効果が現れにくい腱の外側に
入り込んでしまったことから
投薬での治療が困難を極め、
社台スタリオンステーションは
イギリスから専門医を招いて
治療を行いました。
数回に及ぶ手術の末にフレグモーネの
症状自体は回復したものの、
それまでの痛みで右前脚を庇ってしまった結果、
サンデーサイレンスは左前脚に不治の病である
蹄葉炎を発症してしまい、
懸命に治療が行われたものの
最後は衰弱性の心不全によって
同年の8月19日に息を引き取りました。
どんな大種牡馬でも
こういった怪我や病気によって
その生涯が閉じられてしまうといった事実が、
我々にサラブレッドを扱うことの難しさを
教えてくれるのは間違いないと思います。
サンデーサイレンスの現役時代の成績/戦績は?
出典:https://ameblo.jp/k19690539
種牡馬として超一流だった
サンデーサイレンスですが、
現役時代にはケンタッキーダービーや
ブリーダーズカップ・クラシックといった
世界的大レースを勝利しており、
競走馬としても超一流の存在でした。
ここでは現役時代のサンデーサイレンスの
レース中に見せた特徴的な脚質や、
最大のライバルであったイージーゴーアとの
名勝負を当時の映像も含めて
紹介していきたいと思います。
サンデーサイレンスの脚質は?
サンデーサイレンスの現役時代の
脚質についてですが、
イージーゴーアとの対戦では全て
サンデーサイレンスの方が前に位置しており、
脚質としては
『先行馬』
と見ていいと思います。
特にブリーダーズカップ・クラシックで見せた
先行しながら道中早めに先頭に立って、
そこから長くいい脚で粘りこむレースこそが
サンデーサイレンスの類まれなる勝負根性を
最大限発揮できる脚質であったため、
先行することがこれだけ安定した成績を残した
要因の一つであると言っていいかも
しれませんね。
レース動画を紹介
ここではサンデーサイレンスキャリアの中で
特に印象に残るレースを2つほど
紹介したいと思います。
どちらもイージーゴーアとの大接戦を演じた
当時のベストレースと評されたレースだけに、
映像を通じてその興奮を少しでも
味わってもらいたいと思います。
1.プリークネスステークス(1988年)
前走のケンタッキーダービーでは
先に抜け出していたサンデーサイレンスを
捉えきれなかったイージーゴーアでしたが、
このプリークネスステークスでは
3コーナーから一気に動いて先頭に立ち、
サンデーサイレンスを内に封じ込める作戦で
一気に差を広げにかかりました。
仕掛けが遅れたサンデーサイレンスでしたが、
そこから外に出して仕掛けると
4コーナーで外から一気に並びかけ、
直線では2頭の完全なるマッチレースと
なりました。
お互いの鼻面がぶつかるくらいの叩き合いを
僅かに制したサンデーサイレンスの
強烈な勝負根性が詰まった素晴らしいレース
だったのではないでしょうか。
2.ブリーダーズカップ・クラシック(1988年)
直前で主戦騎手が騎乗停止となり
急遽クリス・マッキャロン騎手に
乗り替わったサンデーサイレンスに対して、
脚部不安で本調子にないイージーゴーアと
2頭とも不安要素を抱えてのレースでしたが、
最終的には不安視していたファンに対して
2頭の競争能力の高さを見せ付けるだけの結果
となりました。
直線で逃げるブラッシングジョンを捉えた
サンデーサイレンスが必死に粘り込みを計る中、
直線反応が鈍かったイージーゴーアでしたが、
残り100mを切って矢のように伸びたものの
最後はサンデーサイレンスがクビ差だけ残して
同年のエクリプス賞(年度代表馬)に
輝くこととなりました。
残り100mでクリス・マッキャロン騎手が
イージーゴーアの方を振り向いたシーンが
個人的に非常に印象に残り、
最後のライバル対決として申し分ない名勝負
であったと思います。
まとめ
今回は
- 『種牡馬』としてのサンデーサイレンス
- 『競走馬』としてのサンデーサイレンス
の2つの顔を紹介する形となりましたが、
幼少の頃にウイルスに感染して
生死の境を彷徨ったり、
馬運車が転倒して他の競走馬が全て死亡した中
大怪我をしながら唯一生き残ったなど、
まだまだ数多くのエピソードを持つ
サンデーサイレンスはまさに
日本競馬における『革命戦士』とも呼べる
存在でした。
今でこそ『サンデーサイレンス系』として
多くの種牡馬が活躍していますが、
その背景には
サンデーサイレンスが
日本競馬を飛躍的にレベルアップさせた
ということを忘れずに覚えておく必要があり、
近い将来日本で産まれた
サンデーサイレンスの血を引く馬が
凱旋門賞やブリーダーズカップといった
世界の大レースを勝利する場面を
見ることができると信じて、
これからも競馬を楽しんでいきたいと
思います。