シンボリルドルフとは?血統や産駒・過去のレース成績&動画を紹介!

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少し前のことですが2017年の
有馬記念で有終の美を飾り
キタサンブラック
史上最多タイの
JRA G1
・7となりました。

タイ記録ということは
同じG1・7勝馬が何頭か
いるのですが、
全頭挙げることができるでしょうか?
(地方、海外を除くJRAのみの数)

ウオッカディープインパクト
テイエムオペラオー、そして
シンボリルドルフ

日本競馬が海外を意識し始め
グレード制が取り入れられた年に
三冠馬となり、史上初の
G1
・7勝を達成した
皇帝シンボリルドルフ
について
今回はご紹介します。

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シンボリルドルフの成績/戦績は?

それでは、シンボリルドルフの
戦績を見ていきましょう。

1983年7月に新潟でデビュー。
そこから3連勝を飾り、
皐月賞の前哨戦
弥生賞に駒を進めます。

そこでルドルフと共に
クラシックの中心になると
見込まれていた
ビゼンニシキに勝利し4連勝

シンボリルドルフは
断然の本命馬として
クラシック戦線に臨むことになります。

迎えた1冠目の皐月賞では
外に斜行し、ビゼンニシキと
激しく馬体をぶつけ合うことになるも
レコードタイムで勝利

続くダービーでは、
いつもの好位からではなく
中団からの競馬となりますが、
直線できっちり前を捉え優勝し
2
冠を達成
します。

その後、海外遠征が検討されますが
軽い故障のために目標を
三冠に絞ったルドルフ。

レコードでセントライト記念を
快勝し、菊花賞に挑み
ここでも力の差を見せつけ勝利。
2年連続となる史上4頭目
無敗としては初の三冠を達成
しました。

三冠馬となったルドルフは
中1週の強行軍で
日本馬初となる優勝を目指し
ジャパンカップへ参戦。

1つ上のミスターシービーとの
史上初の三冠馬対決が注目を集めますが、
カツラギエースの大駆けの前に
3着に敗れ、デビュー以来の連勝と
日本馬初のJC制覇の夢が
途切れてしまいます。

シービー、カツラギとの
再戦となった年末の有馬記念では
1番人気に応え、レコードで完勝。
クラシック世代では初となる
4つ目のG1勝利を達成しました。

古馬となったルドルフは
シンザンの5冠超えと
世界を相手にした勝利へと
目標を定めていきます。

日経賞で戦線に復帰すると
4馬身差の快勝を見せ、
春の天皇賞に出走。

ミスターシービーとの
3回目の三冠馬対決を
いとも簡単に制し
早くもシンザンに並ぶ5冠を達成

ヨーロッパ遠征を発表し
壮行レースとして宝塚記念
出走を決めますが、直前の
アクシデントにより出走取消。
さらに海外遠征も
白紙になってしまいました。

復帰戦の天皇賞秋では
珍しくチグハグな競馬となり
ゴール前、差し馬の強襲に合い
2着に敗退。
雲行きが怪しくなり出した中
海外の有力馬相手に
ジャパンカップに臨むことになります。

迎えた本番では、重馬場にも関わらず
いつも通りの強さを発揮して
6
冠目を世界を相手に勝ち取りました

そして国内ラストレースとして
2年連続で有馬記念の出走。

その年の二冠馬でシンザンの息子
ミホシンザンを子ども扱い
する
圧巻のレースを見せ
前人未到の7冠馬となります

7冠馬となったルドルフは
空けて3月にアメリカのG1
サンルイレイステークスに出走するも
レース中に脚を故障し6着。

アメリカでのレースを最後に
現役を退きました。

通算成績16戦13勝 [13-1-1-1]。
古馬となってからは人間に
翻弄された部分もありましたが
引退から30年以上が経った今でも
史上最強の呼び声が高い名馬でした。

シンボリルドルフの賞金はいくら?

シンボリルドルフが獲得した
賞金金額は6億8,482万円。

今のダービーの賞金は2億円ですが、
当時は8000万円ほど。

その中で6億円以上獲得した
ルドルフは破格の活躍をした
馬だったと言えるでしょう。

シンボリルドルフレース動画

日本競馬の基準を
1歩も2歩も進めたと言える
シンボリルドルフのレースを
動画でご覧いただきましょう。

1.日本ダービー

1つ目は2冠目となった
1984
年の日本ダービーです。

単勝1.3倍という断然の人気を
背負っていたルドルフ。
10番手ぐらいから、追い上げるべく
3コーナーあたりから
鞍上がGoサインを出しますが、
全く上がっていきません

苦しい競馬になったと思いきや
直線を向くとシンボリルドルフ自ら
ハミを取り、トップスピードに入ると
先行馬していた馬を差し切って
無敗の2冠を達成しました。

2.菊花賞              シンボリルドルフ

続いては、見事に三冠を達成した
1984年の菊花賞です。

ダービーと同じく単勝1.3倍と
圧倒的人気を集めての
出走となったシンボリルドルフ

3コーナーで前の馬が壁になりますが
進路ができるとスルスルと浮上し
直線半ばで先頭に立つと
追い上げてきた馬が、
「どれだけ走っても追いつかない」
そんな印象を与える力強い脚取り
ゴールまで伸び続け
史上初の無敗での三冠を達成しました。

3.有馬記念

最後に取り上げるのは
国内ラストランとなった
1985年の有馬記念

この年の二冠馬ミホシンザンと
前年の三冠馬シンボリルドルフの
対戦
が注目を集めた一戦です。

いつも通りの好位から
競馬を進めたルドルフは
持ったままの楽な手応えで
先頭に躍り出ます。

後ろからミホシンザンが
差を詰めてきたと思ったのも、つかの間
ムチの入ったルドルフは
さっと差を広げ、そのままゴール。

年下の二冠馬に影も踏ませぬ勝利で
「日本に敵なし」と印象付けました

シンボリルドルフが涙した!

シンボリルドルフには
多くのエピソードが残っていますが、
その中でも、絶対王朝を築いた
皇帝らしさを感じさせるのが
“悔し涙”を流したというもの

1985年の天皇賞秋
大外枠を克服して先頭で
ゴールに入ろうとした直前、
伏兵ギャロップダイナの強襲に合い
2着に敗れたルドルフ。

敗れた悔しさからか
馬房に戻ってから
涙を流したと伝えられています

これは関係者やマスコミが
盛り気味に話した
内容かもしれませんが、
競馬のすべてを知っているような
ルドルフの走り
を見ると
負けたことを理解し、
プライドを傷つけられたと
感じていても
不思議がないように
当時のファンには思えたようです。

シンボリルドルフの名言とは?

出展:photo/Cake6

競馬で最も有名な格言に
「競馬に絶対は無い」があります。

これは、“どんな強い馬でも
必ず勝つことはない”
という事を示唆しているもので、
圧倒的一番人気が負けた時
なんかに、よく使われます。

シンボリルドルフを管理した
野平祐二調教師が、その言葉を
受けて言った名言が

「競馬に絶対は無い。
だが、ルドルフには絶対がある。」

ルドルフの強さを誰よりも理解し
信頼しいたからこそ、
野平調教師は、ルドルフが
負けたレースの後でも
この言葉を使っていたそうです。

シンボリルドルフの血統は?

シンボリルドルフは、2度の
リーディングサイアーとなった
パーソロンを父に持ち、
母はスイートルナという血統。

オーナーは、この配合に
強いこだわりを持っていたようで
ルドルフには3頭の全兄姉と
1
頭の全妹
がいます。

ちなみに、ルドルフの母の父は
凱旋門賞に日本馬で初めて出走した
スピードシンボリという馬です。

シンボリルドルフの性格は?

名馬の類に漏れず
シンボリルドルフは
非常に賢い馬だったと言われています。

2冠目となった日本ダービーでは
向こう正面で騎手がGoサインを出すも、
ルドルフは応じず、直線に入ってから
自らハミを取って動き出す
というレースを披露し騎手から

「ルドルフに競馬を教えてもらった」

というコメントも出たほどです。

また、環境の変化にも強い
タイプだったようで
現在の競馬では主流となっている
牧場など調整をして、レース直前に
トレセンの厩舎に入るという
スタイル
の先駆けもルドルフ。

環境が変わると
リフレッシュできる性格の
ルドルフには効果的だったようです。

シンボリルドルフの脚質は?

シンボリルドルフのレーススタイルは
横綱相撲とも呼べる先行抜出

スタートから好位につけ
最終コーナーを周る頃には
逃げ馬を射程に捉え
直線で先頭に立ってからは
後続を抑えきるというもの。

そのレースっぷりで
一分の隙もない圧倒的な
強さを見せつけました

しかし、瞬発力と
操作のし易さも
併せ持っていたことから、
レースによっては
差しや逃げも披露
自在性を発揮することも
ありました。

シンボリルドルフ騎乗騎手は?

シンボリルドルフの
デビュー戦から引退レースまで
手綱を取り続けたのは
岡部幸雄騎手。

皐月賞では1冠目を意味する一本指
ダービーでは二本指
菊花賞制覇で三本指を立てた
パフォーマンスは
後に武豊騎手が
ディープインパクト
真似
をした姿でした。

ルドルフでの活躍と同時期には
日本騎手で初めてアメリカで
勝利を挙げたり
初のフリーの騎手になったりと
騎手の活動の幅を広げる
役割も果たしていました。

シンボリルドルフの馬主は?

シンボリルドルフの生産者であり
馬主でもあったのは
シンボリ牧場。

緑、白襷、袖赤一本輪の勝負服の
昭和を代表するオーナー
ブリーダー
です。
2代目の和田共弘さんの時代に
活躍したのがルドルフです。

世界に目を向け続けた和田さんは、
海外がまだ遠かった時代に
所有馬を積極的に
海外遠征
させています。

海外で得た様々なアプローチを
日本競馬界に持ち込んだ
戦後を代表するホースマンの
1人ですが、ワンマンな部分も
あったとされ、
ルドルフの現役晩年には
厩舎関係者との折り合いが
悪かったとも言われています。

シンボリルドルフの産駒は?

出典:https://weekendmemories.jp/

当時、世界に最も近い日本馬となった
シンボリルドルフは期待されて
種牡馬入りします。

初年度産駒から自身を超える
人気を獲得したG1・4勝馬
トウカイテイオーを出した
他、
2世代目でも重賞ホースを出し
前途洋々と思えましたが、
その後の活躍馬は少なく
子供たちの中から
種牡馬として大成する
馬も出ませんでした

海外から輸入された
種牡馬が強い時代だった
ということもありますが、
日本競馬史に残る名馬なだけに
その血が繋がらなかったことは
残念というほかありません。

シンボリルドルフとトウカイテイオーの関係は?

上項でも書きましたが、
シンボリルドルフの代表産駒が
G1
・4勝のトウカイテイオー

史上初であり、今なお1組だけの
無敗での親子牡馬二冠制覇、
史上初の親子JC制覇、
親子有馬記念制覇
など、
数々の親子記録を達成した
孝行息子でした。

あまりの強さで「退屈」と
言われることもあった父と違い
気品のある顔立ちと
幾多の苦難から立ち上がってきた
息子は「貴公子」と呼ばれ
ファンに愛された馬
でした。

まとめ

今回は昭和の名馬
皇帝・シンボリルドルフを
ご紹介しました。

競馬が鎖国状態だった
時代にも関わらず
海外にも名前を轟かせていた
伝説の1です。

それまで「シンザンを超えろ」が
長い間、日本競馬の目標でしたが、
ルドルフが現れたことで
日本のホースマンの目を
世界に向けるようになった
ので
ないでしょうか。

今なお破られていない
JRA
のG1・7勝を
初めて成し遂げたシンボリルドルフ

競馬ファンとして、この名前を
覚えておいてください。

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