近頃競馬では常に大逃げをする馬が
いなくなりましたよね。
エイシンヒカリがやや大逃げを
するときもありましたが、
過去にはもっとすごい稀代の逃げ馬と
呼ばれた馬がいました。
その馬というのがツインターボです。
競馬好きなら聞いたことがあるかもしれません。
決してG1をたくさん勝ったとか、
常に安定して好成績だった
というわけではありません。
しかしその逃げっぷりから
ファンがたくさんでき、
その走りに注目されるようになりました。
今回はそのツインターボの血統や成績、
レース動画などを紹介していきたいと思います。
ツインターボの成績/戦績は?
まずツインターボの成績/戦績から紹介します。
通算成績:35戦6勝
中央競馬:22戦5勝
地方競馬:13戦1勝
主な勝ち鞍:ラジオたんぱ賞
七夕賞 オールカマー
1991年の3月に中山競馬場でデビューしました。
レースは持ち前の逃げ切りで
2着に3馬身をつけました。
2戦目のもくれん賞も快勝。
そして3戦目、ダービーのステップレース、
青葉賞(当時OP)に出走。
しかし直線で失速して9着に負けました。
4戦目の駒草賞でも5着に敗れてしまいますが、
初重賞のラジオたんぱ賞では大逃げで最後は
振り切って重賞初挑戦、初制覇となりました。
秋初戦はセントライト記念。
ストロングカイザーの2着に粘り、
福島記念に出走。
ここでも引き続き2着になりました。
そして3歳時の最後の出走は有馬記念。
しかしここでは14着と大敗。
力の差を味わいました。
競争後には鼻出血が判明。
長期休養に。
1992年11月福島民友Cで復帰。
しかしここは1番人気に支持されるも
10着と大敗。1993年は中山金杯、
中山記念、新潟大賞典と掲示板に載れず3連敗。
しかし初重賞勝利の舞台、
福島に戻った7月の七夕賞では
伝説の大逃げを見せて見事に1着、
続くオールカマーでもライスシャワー、
ハシルショウグン以下を抑えて見事に1着。
連勝を飾りました。
そして3番人気で迎えた天皇賞秋。
しかし直線手前から大失速。
最下位の17着に敗れました。
それ以後はG2G3を中心に出走しますが、
掲示板に載ることもできず大惨敗の日々。
ダートの帝王賞にも挑戦しますが15着。
そして、1995年5月に公営、上山競馬に移籍。
転厩初戦は勝つもののそのあとは連敗。
9歳時に出走した
クラスターカップを最後に引退。
そのあとは宮城県で種牡馬入りしました。
ツインターボの獲得賞金は?
ツインターボは長い間現役生活として
出走しましたがその獲得賞金はいくら
なのでしょうか。
獲得賞金:1億8398万円
パッと見るとやはり少ないような気はします。
その要因というのも2,3着などが
少なく賞金を積み上げることが
できなかったからだと思います。
大逃げという脚質上、
勝つか負けるかの一発屋的な面があり、
その分賞金も伸びませんでした。
ツインターボ・伝説のレース動画を紹介!
ではそのツインターボのレース動画を
紹介していきたいと思います。
いくつかありますが
勝った時も負けたときもツインターボらしい
レースをしてくれています。
したがって勝ったレースだけでなく
いい逃げっぷりの負けたレースも
紹介していきます!
1.七夕賞 福島芝2000m 七夕賞
まず一つ目、
ツインターボと言えばのレース。七夕賞です。
1993年、ツインターボの5歳時に
出走したレースです。
1人気がダイワジェームス、
2人気がアイルトンシンボリ、
3人気にツインターボでした。
スタート直後から先頭をたたき、
向う上面で少しずつリードを広げていきました。
直線では後方に6馬身をつけ、
追撃するアイルトンシンボリや
ダイワジェームスなどを振り切り、
最後まで垂れず、4馬身差をつけての圧勝。
久しぶりの勝利となりました。
2.天皇賞 東京芝2000m 天皇賞秋
2つ目、天皇賞秋です。
1993年、重賞2連勝で迎えてG1勝利も
期待されたレースとなりました。
人気は、1人気がライスシャワー、
2人気がナイスネイチャ、
そして3番人気にツインターボと続きました。
その人気馬以外にもこのレースには
ヤマニンゼファーや、ホワイトストーン、
セキテイリュウオーなど有力馬が
たくさん出走していました。
その中で後続を引き離して逃げるツインターボ。
しかし4コーナー前から後続につかまり、
そこからは大失速。
しかしそのG1での逃げっぷりは
さすがと言えるものがあります。
3.有馬記念 中山芝2500m 有馬記念
最後に1994年の有馬記念です。
この有馬記念ではナリタブライアンや
ヒシアマゾン、ライスシャワー、
ネーハイシーザー、ナイスネイチャ、
サクラチトセオーなど
素晴らしいメンツが集まりました。
その有馬記念では
過去にないぐらいの大逃げを打ちました。
その大逃げは10馬身、
いや20馬身ほどリードを取り、
距離でいうと70mほども後続を引き離しました。
その逃げは後続もびっくりするくらいの逃げに
なりました。
しかし3コーナーから失速して
あっさりつかまってしまいました。
しかしその逃げは
中山競馬場に集まったファンを魅了しました。
ツインターボの血統は?
そのツインターボの母や父。
血統はどのようなものなのでしょうか。
父:ライラリッジ
母:レーシングジイーン
という血統です。
父のライラリッジはアメリカで現役生活を
送った馬で2勝したのみの
特に目立つ馬ではありません。
種牡馬として産駒もツインターボ以外に
目立った馬はいません。
母のレーシングジイーンの産駒としては、
ツインターボの半弟ゲイリーミナレットが
4勝を挙げてG3マーキュリーカップでも
3着の成績を残しました。
ツインターボの性格って?
レースで大逃げを見せた、
ツインターボの性格は
どのようなものなのでしょうか。
ツインターボは小さい馬で、
そのせいなのか、怖がりで馬群の中に入ると
他の馬にひるんでしまって、
走るのをやめてしまうような馬でした。
その気性からも大逃げしかなかったのでしょう。
ツインターボの脚質は?
ツインターボの脚質は
いったい何なのでしょうか。
散々ここまで言ってきましたが、
ツインターボの脚質は大逃げです。
普通の逃げは後続をひきつけながら
自分のペースを考えての乗り方になりますが、
ツインターボの大逃げはひたすら逃げて逃げて
少しでも生き残る乗り方です。
ツインターボの騎乗騎手は誰?
ツインターボと言えば中館英二のイメージが
ありますが、これまで何人の騎手が
乗ってきたのでしょうか。
まずデビュー戦から2戦は石塚信弘。
そのあと青葉賞は大塚昭一。
その次の一戦は柴田正人。
そのあとのラジオたんぱ賞~有馬記念までは
大塚昭一が騎乗しました。
1992年の福島民友カップから中山記念までは
柴田善臣が騎乗、新潟大賞典では大塚昭一が
再び騎乗しましたが、七夕賞から、
日経賞までは中館英二が騎乗。
函館記念は田面木博が騎乗して、
福島記念では宗像、有馬記念では田中勝春、
アメリカジョッキーズクラブカップでは
中館英二。
そしてその次の帝王賞では
なんと武豊も騎乗していました。
中央最後の新潟大賞典では宗像が乗り。
中央競馬生活を終えました。
その騎乗人数はなんと9人にもなります。
ツインターボの馬主は?
ツインターボの馬主を知っているでしょうか。
ツインターボの馬主さんは
黒岩晴男さんという方で、
現在も馬を所有している長年の馬主さんです。
現在はトゥモローキッスという馬一頭だけの
所有ですがこれまでに65頭もの馬を
所有してきており、
その中でもツインターボは出世頭となりました。
ツインターボの産駒は?
引退後のツインターボ。
その産駒はどのようになっているのでしょうか。
ツインターボの産駒はわずか5頭しかいません。
しかも牝馬を含めても
繁殖入りしている馬はおらず
今ではその血は完全に途絶えてしまっています。
あの稀代の逃げ馬の子供たちを
もっと見たかったんですけどね。
ツインターボが逃げ馬といわれるのは?
ツインターボは逃げ馬と言えば語られます。
ツインターボと言えば逃げ。
逃げと言えばツインターボ。
G1勝ちもない馬ですが、
それくらい私たち競馬ファンの
記憶に残る馬となりました。
後続を引き離して逃げるツインターボ。
それゆえ逃げ馬といわれ続けました。
すべてのレースで逃げて、
私たちを魅了してくれました。
ツインターボの死因は?
1998年、ツインターボは息を引き取りました。
11歳での早すぎる死となりました。
まるで走らなければ
意味はないとでもいうかのように。
そのツインターボの死因は何なのでしょうか。
ツインターボの死因は心不全です。
競走馬の死因としては多い部類ですが、
本当に残念でなりません。
もっと産駒を残してほしかったですし、
元気な姿を見せてほしかったです。
まとめ
今回は稀代の逃げ馬、
ツインターボについて話してきました。
正直、G1の勝ち馬でもありません。
何もしなければこの馬について
知ることはなかったと思います。
しかし、その逃げっぷりを一度見ると
忘れられない、記録よりも記憶に残る馬です。
こんな逃げ馬はもう一生
現れることがないかもしれません。
こんな逃げを残してくれるのは
ツインターボしかいませんし、
あんな競馬を見せてくれるのは
彼しかいません。
ツインターボの再来といわれるような
馬が出てくることを
楽しみにしたいと思います。