これまで牡馬三冠が7頭出ていますが、
そのうち、内国産の父親が何頭か
ご存知でしょうか?
(内国産とは日本で生まれたという意味)
ステイゴールド(オルフェーヴルの父)と
トウショウボーイ(ミスターシービーの父)
の2頭だけなのです。
輸入種牡馬が優位だと
考えられていた時代から
徐々に内国産種牡馬が盛り返し、
優劣がないことを証明したのが
トウショウボーイです。
当時の競馬としては
圧倒的なスピードを見せつけ
天馬と称された現役時代。
そして種牡馬として、
多くの中小牧場を救ったと言われる
トウショウボーイをご紹介します。
トウショウボーイの成績/戦績は?
腰の甘さからじっくり
調整されたトウショウボーイは
クラシックを目指すには
遅い3歳の1月末にデビューを迎えます。
しかし、ここを3馬身差で勝利すると
2戦目を4馬身差、3戦目を5馬身差と
出走するごとに着差を広げる
連勝劇でクラシック第1弾
皐月賞に臨むことになります。
5戦5勝の関西馬テンポイントに次ぐ
2番人気で本番に挑むと
直線半ばで先頭に立ち、
テンポイントに5馬身差を付ける
圧勝劇でデビューから
3カ月半ほどでクラシックホースとなります。
ダービーでは直線入り口で
一瞬怯んだ分、差し届かず2着に敗れ
連勝が4でストップしてしまいます。
夏の札幌記念(当時はダート)でも
不覚を取り2着に敗れたものの
菊花賞の前哨戦・神戸新聞杯を
日本レコードで快勝。
続く京都新聞杯も優勝した
トウショウボーイは三冠最終戦
菊花賞に駒を進めます。
最後の直線で先頭に立ったものの
勝ったグリーングラス、
テンポイントに交わされ3着。
クラシックは1冠のみに終わりました。
そのまま年末の有馬記念に
出走したトウショウボーイは
早め先頭から押し切りレコードで優勝。
八大競走2勝目を飾り、
年度代表馬に輝きました。
古馬となり春の天皇賞を目指した
トウショウボーイでしたが、
脚元の不安から調整が遅れ、
復帰戦は宝塚記念に。
半年ぶりのレースでしたが、
またしてもテンポイントを退け
優勝を飾ります。
2走した後、天皇賞秋に臨みますが
グリーングラスに絡まれオーバーペース
となり7着に敗退。
引退の花道を飾るべく
有馬記念に出走します。
8頭立てと少頭数だった
このレースでは、序盤から
テンポイントと抜きつ抜かれつの
マッチレースのように展開に。
お互いが相手を1頭だけに絞った
名勝負が繰り広げられますが、
テンポイントに4分の3馬身
及ばず2着。
ファンを魅了し、後世にまで
語り継がれるレースを手土産に
ターフを去りました。
通算成績15戦10勝[10-3-1-1]。
天皇賞以外では3着を外さない
という見事な安定感と
レコード勝ち3回という
戦績を残しました。
トウショウボーイのレース獲得賞金は?
トウショウボーイが獲得した
賞金は2億8077万円。
同期のテンポイントや
グリーングラスより
少ない額ですが、
現役期間が短く、
出走数も少なかったため
低くなったものです。
トウショウボーイのレース動画
圧倒的なスピードを見せた
トウショウボーイのレースを
動画でご覧いただきましょう。
今回は、
の3レースをご紹介します。
1.皐月賞
まずは、1976年の皐月賞です。
デビューから走るたびに
着差を広げる3連勝で
クラシック第1弾に進んだ
トウショウボーイ。
本命視されていた5戦5勝の
テンポイントのライバルに
なると目されていました。
この年の皐月賞は、厩務員組合と
調教師会による春闘の影響で、
開催が1週間延期になります。
春闘の影響を読み違えた
テンポイントは体調が整わず
ここから春のクラシックは
下降線に。
一方のトウショウボーイは
万全の状態で皐月賞に出走し
テンポイントに5馬身差をつける
圧勝劇で世代の頂点に立ちました。
2.宝塚記念
続いては1977年の宝塚記念です。
前年の激走の影響から復帰が遅れ、
半年ぶりの出走となった
トウショウボーイ。
この年の宝塚記念は
6頭と少頭数ながら、
うち5頭が八大競走の勝ち馬
という豪華メンバーが集結していました。
その中でも、前走の天皇賞春で
念願の八大競走初制覇をし、
順調に調整されていた
テンポイントが人気を集め
トウショウボーイは2番人気での
出走となります。
スタートして、行く馬がいない中、
ハナを切ったトウショウボーイは
マイペースで先導し
最後の直線でも半年ぶりの
レースというのが嘘のような
快走を見せ、テンポイントを退け
見事な勝利を飾りました。
3.有馬記念
最後にご紹介するのは
1976年の有馬記念です。
クラシックを1着2着3着
で終えたトウショウボーイは
古馬との初対決の場として
年末のグランプリに出走。
並みいる強豪がいる中
ファン投票1位、単勝1番人気
と支持を集めます。
道中5~6番手から進めた
トウショウボーイは
向こう正面辺りから進出。
楽な手応えのまま4コーナーで
先頭に並びかけると
そのまま1着でゴール。
従来のレコードを1.1秒も
更新する走りで圧倒的な
スピードを見せつけました。
2馬身半差の2着には
テンポイントが入り、
有馬記念史上初の4歳馬による
1着2着独占となりました。
トウショウボーイ・天馬と称される由縁
トウショウボーイは
「天馬」という愛称で
呼ばれていました。
頭を低く地面を這うようなフォームと
大きな完歩で悠然と走る姿が
「空を飛んでいるよう」と言われ
そこから天馬という愛称が
付けられたと言われています。
この愛称は陣営も気に入っていたようで
引退後、北海道に輸送される際には
天馬にふさわしいという理由で
陸送ではなく、飛行機が使われました。
これは、国内では初めての
競走馬の空送だと言われています。
トウショウボーイの血統は?
トウショウボーイは父テスコボーイ
母ソシアルバターフライの間に
産まれました。
テスコボーイはイギリスから
日本に輸入され初年度から
皐月賞馬を出し、
4度のリーディングサイアーを
獲得した大種牡馬。
トウショウボーイのように
スピード能力の高い産駒を
多く残しました。
ソシアルバターフライは
アメリカから日本に輸入されると
11頭の産駒のうち5頭が
オープンまで出世。
トウショウボーイの兄や姉も
活躍していました。
そんな血統背景から
トウショウボーイは
産まれる前から活躍が
期待されていた馬だと
言えるでしょう。
トウショウボーイの性格は?
500kgを超える雄大で
たくましい馬体を誇った
トウショウボーイですが、
非常に穏やかで人懐こい
性格の馬だったと言います。
厩務員がやってくると
顔を近づけて甘える所があり
まるでイヌのようだった
という証言もあるほどです。
「可愛くて利口な馬」
これが、関係者が語る
トウショウボーイの姿だったようです。
トウショウボーイの脚質は?
ほとんどのレースで
先行または、逃げといった
戦法を取っていたトウショウボーイ。
これは、圧倒的なスピードを
持っていたからこそ
能力の違いで前に行っていたと
考えられるでしょう。
御するのが難しい馬であれば
暴走気味の逃げ馬になっていた
かもしれませんが、
大人しいトウショウボーイは、
騎手の指示に従って
先行と逃げという脚質を
使い分けることができたため
取りこぼしが、ほとんど無い
安定した成績に繋がりました。
トウショウボーイの騎乗騎手は?
天馬トウショウボーイに跨った
騎手は4人います。
ここでは大レースに騎乗した
3人の騎手を紹介します。
神戸新聞杯から菊花賞までの3レースに騎乗し、トライアル2連勝を飾る。
東西の垣根が高く、自厩舎の騎手を
優先的に騎乗させる時代にも関わらず、
関東馬のトウショウボーイの後半は
関西のトップジョッキーが騎乗していました。
トウショウボーイの馬主は?
トウショウボーイを所有したのは
トウショウ産業。
参議院議長も務めた
藤田正明さんが立ち上げた
昭和を代表する
オーナーブリーダーの1つです。
シスタートウショウや
スイープトウショウといった
G1馬をはじめとした
多くの重賞ホースを所有しました。
トウショウ牧場は2015年に閉鎖しましたが
トウショウ産業としては、
今なお競走馬を所有しています。
トウショウボーイの産駒は?
圧倒的なスピードを武器に
種牡馬入りしたトウショウボーイ。
当初は質の高い繁殖牝馬が集まらず
成績も低迷します。
しかし3年目の産駒から、
三冠馬ミスターシービーが
現れたことから、風向きが変わります。
以後、毎年のように
重賞勝ち馬を輩出し
アラホウトク、パッシングショット、
サクラホクトオー、ダイイチルビー、
シスタートウショウという
G1馬も出しました。
勝ち上がり率も高く、
産駒が安定した活躍をするので
牡馬は3000万円以上で
取引されていたと言います。
また、トウショウボーイを
導入した組合の規約で
最高でも種付け料が350万円だったことから
多くの中小牧場を支え
「お助けボーイ」と呼ばれました。
トウショウボーイとテンポイントの関係性は?
トウショウボーイと
ライバル関係にあった
と言われるのがテンポイントです。
6度の対戦があり
トウショウボーイが
4度先着しています。
テンポイント陣営は、
皐月賞で負けた辺りから
トウショウボーイをライバル
として見ていた節はありますが、
トウショウボーイ陣営が
テンポイントをライバルと
見るようになったのは、
恐らく古馬の秋になってからでは
ないかと思われます。
トウショウボーイが脚元の不安から
順調に調整できない中、
着実に力を付けてきた
テンポイント。
その姿を見て、相手はこの1頭だと
武邦彦騎手が感じたからこそ
77年の有馬記念での名勝負に
繋がったのではないでしょうか。
まとめ
今回は、天馬トウショウボーイを
ご紹介しました。
遅いデビューながらクラシック
第一弾の皐月賞を制し、
年末には有馬記念まで優勝した
希代のスピード馬。
そのスピードを子供たちにまで
継承させた偉大な馬でした。
種牡馬として小さな牧場の
救世主となった伝説の一頭を
ぜひ、頭の片隅に
留めておいてください。